JリーグPRESSBACK NUMBER
湘南元守護神の秋元陽太が語る、GKと監督・コーチの人間関係「選手を守れないなら辞めますと言える指導者に」
text by
林遼平Ryohei Hayashi
photograph byShigeki Yamamoto
posted2022/02/23 17:00
昨シーズン限りで現役を引退した秋元陽太。横浜FM、愛媛、湘南、FC東京、町田と5クラブを渡り歩いた経験を次世代に繋げたいと語った
7度の移籍、計5クラブを渡り歩いたキャリアのハイライトは、やはり5年間プレーした湘南での日々だ。曺貴裁監督が指揮したチームでの経験を、「本当に学ぶことが多かった」と振り返る。
一方で、「物凄く大変」な5年間だったことも間違いない。
日々のトレーニングでサボるような選手がいれば浮いてしまうほど、誰もが厳しい練習に全力で向き合っていた。どんなに苦しくても、どんなに厳しいことを言われても、周りが100%でやっているならば自分もハードワークを欠かしてはいけない。昇格争いや残留争いを経験する中で、勝利したとしても1つの失点について厳しい言葉を浴びせられることも多かった。
「何くそという気持ちが生まれたのも事実です。でも、その結果、J2優勝やカップ戦も取ることができた。改めて考えると、僕への扱いという意味では合っていたのかなと思います」
2019年には就任8年目の曺監督のパワハラ問題に揺れたチームを守護神として支えた。サッカーだけに集中できない環境下でも常に反骨心を持ち、「勝利のためにやれることは全てやる」と前を向いたことが、自身の成長を促したと受け止めている。
当時のチーム作りに問題が生じたことは事実だが、永木亮太や遠藤航らがチームから飛躍していったように、それぞれに“責任感”を生み、成長できる環境だったこともまた事実だった。
「当時、ミキ(山根視来/現・川崎フロンターレ)が言っていましたけど、ここで滑れば、もしシュートがゴールにいっても陽太さんが止めてくれる、と。そういう雰囲気や信頼関係が自然と生まれていた感じがありました。僕もDFが絶対に滑ってくれるから最後まで我慢しようと。こっちのコースは絶対に切ってくれるから、その先に飛んできたら止めて見せるみたいに。そういう責任感は誰もが持っていたと思います」
“骨折”を隠してプレーし続けたことも
“責任感”を物語る秋元のプレーがある。2017年J2第7節東京ヴェルディ戦の試合終盤、秋元はシュートセーブの際に右手の小指を骨折してしまう。その試合はなんとかやり切ったが、普通ならば途中交代してもおかしくない重傷だった。当然、それ以降の出場は難しいと思われていた。
しかし、チームのために戦うことを選んだ秋元は、小指と薬指をテーピングで固定した。奥さんにグローブを4本指仕様に縫ってもらい、次の試合も普段と変わらぬ様相でゴールマウスの前に立っていた。自分が抜けるわけにはいかない――報道陣が骨折の知らせを聞いたのは、数カ月経過してからのことだった。
酸いも甘いも経験してきた男に、監督やGKコーチとしてJリーグの舞台に戻ってくるつもりはあるのか、と聞いてみた。
「絶対にやりたくないです」
秋元は食い気味に答えた。なぜそこまで言い切ることができるのか。その言葉の裏にはGKという孤独なポジションで戦ってきた苦悩がある。