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《JFLでもJ1でもいつもそこにいた》松本山雅のレジェンド・飯田真輝36歳がクラブに帰ってきた! 違和感を覚えた“サポーターと選手の距離”とは

posted2022/02/24 11:01

 
《JFLでもJ1でもいつもそこにいた》松本山雅のレジェンド・飯田真輝36歳がクラブに帰ってきた! 違和感を覚えた“サポーターと選手の距離”とは<Number Web> photograph by J.LEAGUE

2010年8月から2019年12月まで松本山雅の中心選手として活躍した飯田。今年2月1日にクラブの「Community Bond Builder」に就任した

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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 次に自分の進む道が、パッと視界に入ってきた。

 ぼんやりではなく、その輪郭はくっきりと。ならば行動を起こすとき。飯田真輝は使命感に似た感情に包まれていた。

 松本山雅で9年半もの間、最終ラインを引っ張ってきた彼はJ2逆戻りが決まった2019年シーズンを最後に契約満了で愛着あるクラブを離れ、JFLのマルヤス岡崎、奈良クラブと渡ってプレーを続けていた。ちょうど試合翌日でオフだった昨年の11月21日、久しぶりに松本のホーム、サンプロアルウィンスタジアムを訪れてホームゲームを観戦した。

 レノファ山口に引き分けて9戦連続の未勝利。J3降格にリーチが掛かったホームの光景を見て、心が締めつけられるような思いがした。昔、あれほど近く感じたスタンドとピッチに“距離”を感じたからだ。もちろんコロナ禍も背景にはあるのだが、選手たちとサポーターのガッツリとした一体感が薄まっていると思えてならなかった。

奇しくもその日は愛妻の誕生日だった

 何とかしたい、自分なら何とかできるかもしれないと所属する奈良クラブに現役引退の意思を伝えた。そして山雅ともコンタクトを取った11月23日は奇しくも愛妻の誕生日。これも何かの運命と悟った。

 1月31日に奈良クラブから現役引退が、翌日に松本山雅から「Community Bond Builder(シービーツー)」就任が発表された。引退の決断から間があったのはプレー先を探していたのではなく、聞き慣れない役職の業務を詰めていたものと思われる。

 クラブがやってほしいこと、自分がやりたいことを可能な限り、全部やる。クラブが命名したシービーツーには両者の思いが詰まっている。

 大きく分けて3つある。

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