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パワハラ告発→騒動の渦中で結婚&出産→崖っぷちからの北京五輪…韓国カーリング“メガネ先輩”の波乱万丈の人生
text by
キム・ミョンウKim Myung Wook
photograph byJMPA
posted2022/02/21 11:00
カーリング女子韓国代表として2度目の五輪に挑んだ金恩貞(キム・ウンジョン)
我慢の状況が続くなか、好転し始めたのは2020年11月30日、大韓カーリング競技連盟がパワハラ当事者である“キム・ギョンドゥ一家”を永久除名すると発表してからだ。家族ぐるみの不正会計、職権乱用、組織の私有化などのすべての訴えが認められ、騒動はようやく一件落着した。
しかしながら、パワハラ問題への告発は勇気のいる行動だったはずだ。なぜ思い切ることができたのか。キム・ウンジョンは韓国メディアで当時の出来事をこう振り返っている。
「平昌五輪後に不当な待遇がひどくなり、選手生命が終わるとしても話してみようと決めたんです。その後、後輩たちは脅迫されながら、練習しているようでした。これは10年も20年も繰り返されてきた問題なのに、国民の多くの方が応援してくれたおかげで、声を挙げることができました。応援と関心がなければ、私たちも勇気を出して告白するのは難しかったと思います」
ある意味、高く注目されたからこそ、膿を出そうと思ったのだろう。キム・ウンジョンはただ話題性を振りまいたアスリートではなかった。チームの将来、そして韓国カーリング界の未来を考えての行動だった。
崖っぷちから掴んだ北京五輪
その後、“チーム・キム”は21年に江陵市庁の所属となり、連盟も新たに会長を迎えいれた。まさに心機一転。残すところ、北京五輪出場をかけた21年世界選手権で結果を残すだけとなったが、結果は7勝6敗の7位。出場14カ国中、6位以内に与えられる北京五輪の切符をつかめず、崖っぷちで挑んだ最終予選を突破して、2度目となる五輪出場を勝ち取った。
北京五輪では惜しくも準決勝に進めなかったが、小さな子どもを持つ母として、子育てに忙しくても、トップアスリートとして世界や五輪でも戦えることを証明したかったという。