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「病院で叫んだ…この体のどこが悪いんだ」悲痛のがん宣告、25歳で他界した“伝説のモーグル選手”を覚えているか? 長野五輪で見るはずだった「幻のヘリコプター」
posted2026/02/20 11:00
長野五輪直前で胃がんが見つかった森徹さん。闘病を続ける中、会場に駆けつけて里谷多英の金メダルを現地で見守った
text by

石井宏美Hiromi Ishii
photograph by
Sankei Shimbun
熱戦が繰り広げられるミラノ・コルティナ五輪。今大会も数々のドラマが生まれる中、この時期になると、ある伝説のフリースタイルスキーヤーを思い出す。モーグルで五輪出場を目指していた森徹さんのことを――。
里谷多英がモーグルで冬季五輪日本人女性初の金メダルを獲得した1998年の長野五輪。じつは、徹さんもこの大舞台で得意の『ヘリコプター』を披露しているはずだった。持ち味のスピードのある切れのいいターンで観客を沸かせているはずだった。
しかし、それは幻となった。
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徹さんは本来いるべきゲレンデの斜面ではなく、病室のベッドにいた。そして、その夏、25年の短い生涯に幕を閉じ、天国へと旅立った。
さみしがりやで人で賑わう場所が大好きで、人が好きだった。目立ちたがりやで人懐っこく誰からも愛されていた。人生を全力で走り続けた徹さんは、命のともしびが燃え尽きるまでモーグルを愛し、病と闘い抜いた。
祖父も父も兄もスキー選手
数多くのスキー選手を輩出している長野・野沢温泉村の老舗旅館の三男として徹さんは生まれた。祖父の敏雄さんはジャンプ、父・行成さんはアルペンの五輪代表候補で、次兄・敏さんは長野五輪のノルディック複合団体で5位入賞、2002年のソルトレークシティ五輪にも出場した。長兄の晃さんも現在長野県スキー連盟の競技本部副本部長を務めるなど、スキー一家で育った。
徹さんは幼い頃からアルペン選手として活躍していたが、高校時代までは目立つ戦績はなかった。転機は高校3年生のとき。テクニックを生かせるモーグルへ転向したことだった。
