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パワハラ告発→騒動の渦中で結婚&出産→崖っぷちからの北京五輪…韓国カーリング“メガネ先輩”の波乱万丈の人生
text by
キム・ミョンウKim Myung Wook
photograph byJMPA
posted2022/02/21 11:00
カーリング女子韓国代表として2度目の五輪に挑んだ金恩貞(キム・ウンジョン)
平昌五輪が終わったあとの18年11月15日、“チーム・キム”所属の慶尚北道(キョンサンブクト)体育会女子カーリングチームがソウル市内で記者会見を開いたのだ。
会見にはキム・ウンジョンら平昌五輪で活躍した選手たちが出席。そこでメンバーのキム・ソニョンがこう切り出した。
「抑圧や暴言、不当な扱い、不条理……。不安ばかりで、無力感と挫折感の中でつらい日々を過ごしてきました」
パワハラがあったとされた相手は、チーム創設者のキム・ギョンドゥ前大韓カーリング競技連盟副会長と娘のキム・ミンジョン氏、娘婿となるチャン・バンソク氏で、平昌五輪前から暴言や悪口を吐かれていたという。さらに15年以降は国際大会の獲得賞金を横領されたことも明らかになった。
ドロドロの愛憎渦巻く韓国ドラマさながらの事態。“チーム・キム”が被った精神的苦痛は想像以上で、こうした告発騒動に時間を割かれ、練習やトレーニングもままならない時期が続いた。
パワハラ騒動の渦中で結婚、そして出産
“メガネ先輩”ことキム・ウンジョンは18年7月に結婚しているが、まさにパワハラ騒動の渦中で新婚生活を送っていた。そして19年5月には第1子となる男の子を出産。産休や子育てで一時的に競技を離れることになったが、その間、他のチームがメキメキと実力を挙げていたのは言うまでもない。19年はライバルでもある春川市庁チームに韓国代表の座を明け渡している。
低迷期が続き、平昌五輪からたった1年で“チーム・キム”は忘れ去られようとしていた。「このまま国民の記憶から忘れ去られるかもしれない」――チームに不安はあったが、光明もあった。
19年秋にキム・ウンジョンがママとして氷の上に戻ってきたのだ。
精神的支柱が戻ると、一からチームを立て直し、2020年の韓国カーリング選手権で優勝すると代表の座を再び勝ち取った。
しかし喜びもつかの間、“コロナパンデミック”が起こる。海外には行けず、国内の室内練習場も閉鎖で練習もままならない。さらにパワハラ告発の影響もあったのか、所属先の慶北体育会とは再契約ができなかった。