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オリンピックPRESSBACK NUMBER
天才スケーター・加藤条治が語る“金メダル候補という人生”…五輪で銅獲得も「世界で3番の人だと認識されますから」
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byJMPA
posted2022/02/11 11:03
2010年バンクーバー五輪の銅メダリスト・加藤条治。元世界記録保持者が語った“金メダル候補”の重圧とは
「何も考えていなくて、若くて勢いだけでした。調整法も知らなかったので、レース前日もガンガン飛ばして、見たことのないラップも出して、これは何があってもメダルを獲れるなと。でも、前日にやりすぎたのか、当日はキレがありませんでした。調整能力がなかったということです」
バンクーバーは「めちゃくちゃ背負って、気負って…」
とはいえ当時はまだ21歳。スピードスケートで脂がのってくるのはそこからだった。実際に、W杯では安定して表彰台争いをしていた。学年で2つ上の長島圭一郎という良きライバルがチームの同僚になったことで、二枚看板として迎えたのが2010年バンクーバー五輪。
「一番プレッシャーがかかっていたのが、この大会でした」と加藤は言う。
金メダルを獲得した長野五輪をはじめ、五輪4大会に出た清水宏保が代表から外れ、重責が肩にのしかかった。男子短距離は日本勢にとっての「お家芸種目」でもあり、「なにがなんでもメダルを」との期待は大きかったし、加藤自身、その状況を十分に理解していた。責任を背負っているという自覚もあった。
「絶対に獲らなきゃいけないと思っていましたし、実力的に獲る自信もありました。めちゃくちゃ背負って、気負って、すごく緊張していました」
トリノ五輪から4年がたち、調整方法も確立していた。レース当日にピークを当てられる自信があったし、実際にフィジカルコンディションはピークの状態。レースに最大出力をぶつけられたという手応えもあった。
「でも、滑り自体が良くなかったんです。完全に、金メダルを取りこぼしました。自分の未熟な部分が一気に出てしまったレースでした」
“焦り”が出た第2コーナー「まだ直線なのに…」
加藤によれば、体の動きそのものは良かったが、滑りの中で焦りが出たそうだ。
「あのレースはほとんど見返してないのですが、覚えているのはありえないところからカーブに入っていったという記憶です」
それは第2コーナーで起きた。
「まだ直線なのにカーブ(の動き)に入っていたのです」
これが、金メダルを2度逃した理由だ。バンクーバー五輪では銅メダルを獲得したが、加藤の胸の奥では「金メダルを逃した」という心情が今もうずいている。