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天才スケーター・加藤条治が語る“金メダル候補という人生”…五輪で銅獲得も「世界で3番の人だと認識されますから」

posted2022/02/11 11:03

 
天才スケーター・加藤条治が語る“金メダル候補という人生”…五輪で銅獲得も「世界で3番の人だと認識されますから」<Number Web> photograph by JMPA

2010年バンクーバー五輪の銅メダリスト・加藤条治。元世界記録保持者が語った“金メダル候補”の重圧とは

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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JMPA

 スピードスケート男子500mの元世界記録保持者であり、五輪4大会に出場した2010年バンクーバー五輪銅メダリストの加藤条治(博慈会)。自身5度目の五輪となる北京大会の出場を目指したが、昨年12月下旬に長野エムウェーブで開催された代表選考会で転倒して最下位の25位に終わり、代表入りを逃した。
 それから1カ月あまりがたった1月下旬、“天才スケーター”が4度の五輪を振り返った。(全2回の前編/後編へ)

 山形中央高校3年生のときにワールドカップ(W杯)代表に選ばれ、17歳で早くもW杯の表彰台に上がった加藤。20歳前後からつねに五輪の金メダル候補と言われ続けたことを、どのように感じていたのだろうか。

「すごく幸せなことです。(スピードスケート男子短距離界という)ひとつの世界で、第一人者と言われることはやってこられた。金メダル候補と言われるのは一握りの選手だし、それは幸せなことです」

“金メダル候補”に「自分の居場所がありました」

 もちろん、相応のプレッシャーがあり、押しつぶされそうになったこともある。

「辛いことはたくさんありましたよ。期待と責任をすべて背負っていた感じがありましたから。特に、2010年のバンクーバー五輪と2014年のソチ五輪のときは、ものすごく重圧がかかりました。でも、苦しかったことはあったけど、それもひっくるめて、幸せなことだなと思う。そこに自分の居場所がありました」

 正直に言えば、メディアから「金メダル」という質問が続くと、「いやだな」と思うこともあったという。が、同時に「やっぱり俺なんだな、と思っていました」と微笑み、こう続けた。

「ただ、金メダルを獲れなかった。結果を出せなかった。やり残したという感はあります」

「メダルを獲れる」と確信したトリノ、何が起きたのか

 最初に出た五輪は21歳で迎えた2006年トリノ五輪。前年の11月に清水宏保が持っていた男子500mの世界記録(当時)を破る34秒30の世界新をマークするなど、飛ぶ鳥を落とす勢いであり、実際に絶好調だったという。レース本番の前日は、それまで出したことのない高速のラップを出し、「絶対にメダルを獲れる」と確信していたそうだ。

 しかし、結果はまさかの順位に終わった。当時はインスタートとアウトスタートの2本を滑り、2回の合計タイムで総合順位が決まっていたが、加藤は1回目の500mで11位と大きく出遅れたのが響き、2回目では4位に入ったものの、6位入賞という結果だった。

 トリノ五輪では何が起きたのだろうか。

【次ページ】 バンクーバーは「めちゃくちゃ背負って、気負って…」

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