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オリンピックPRESSBACK NUMBER
「フォルティウスは過酷な練習を」“家賃が払えないバイト時代”も…女子カーリング小笠原歩コーチと「お母さんみたい」小林未奈らの信頼関係とは
posted2026/02/24 17:03
苦しい戦いが続いたミラノ・コルティナ五輪カーリング女子フォルティウスだが、小笠原歩はコーチとしてチームを支えていた
text by

石川仁美(Number編集部)Hitomi Ishikawa
photograph by
Tsutomu Kishimoto/JMPA
「教え子第1号」小林がオリンピアンに
思いがけず、再び開かれたオリンピックへの道。14年にはソチ五輪に出場し、当時では過去最高タイの5位で大会を終えるなど結果を残し続けた小笠原歩がカーリングの第一線を離れたのは、北海道銀行フォルティウスが平昌五輪を逃した18年のこと。次世代のチームをこれからの五輪に向け構築していく必要があると考えた結果だった。
退団発表時に「チームからは離れますが、カーリング選手に引退はありません。ジュニア育成、競技人口の拡大等、私も微力ながらお手伝いができればと思います」と言葉を残した通り、20年に日本カーリング協会のナショナルコーチに就任する。小笠原が初めて帯同したのは、スイス・ローザンヌで開催されるユースオリンピックに出場するジュニア日本代表。フォルティウスのフィフス・小林未奈はこの時の準優勝メンバーで「教え子1号」だ。
「一番初めに持った選手がこんな早くオリンピアンになるだなんて」
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担当した女子のジュニア日本代表は、世界ジュニアで22年は金メダル、23年と24年は銀メダルを獲得。転身してすぐに結果を残した小笠原だが、当初は「向いていない」と思ってコーチをしていたという。
「でも、あともうちょっとやってみようと思わせてくれる選手たちがいるからこそ、今こうしてコーチをやれていますし、結果につながるのはうれしいです。こんな言葉をかけてほしかったとか、自分の経験をもとに緩急をつけながらやっています。選手に必要とされているのであれば、カーリング人生においてこんな幸せなことはないと思います」
「お母さんみたい」と表現した理由
教え子第1号の小林未奈は、小笠原をこのように表現した。
「お母さんみたい」
ユースオリンピック出場前、小林はストーンのリリースが安定せず悩んでいた。そんな時、大会前の合宿で泣きそうになりながら練習していると小笠原がマンツーマンで寄り添って教えてくれていたのだという。

