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「ダルビッシュさんは命の恩人です」“無名右腕ドジャース契約”のウラに異色の29歳コーチの存在《BCリーグ最下位球団からNPB入り続出の理由》
text by
菊地高弘Takahiro Kikuchi
photograph byIbaraki Astro Planets
posted2022/02/04 11:01
ドジャースとマイナー契約を結んだ松田康甫。小山田コーチが語る舞台裏と、近年BC茨城に有望選手が集まる理由とは
松田に言った「ブルペンに入る回数を減らそう」
毎日のようにブルペンで投球練習をしたがる松田に、小山田は「出力が高い選手は肩ヒジを痛めやすいから、ブルペンに入る回数を減らそう」と提案した。投球練習の頻度を週1回ペースに抑え、トレーニングで投球に必要な筋力や動作を磨くようにした。その結果、4月4日の開幕戦で松田は最速155キロを計測した。
「私は重さ3キロのメディスンボールをバックスローする測定をしているのですが、20メートルに届けば150キロが投げられる目安になっています。そんななか、松田の記録は23メートルでした。瞬発系にかけては野球界でトップクラスだと確信しました」
希望がふくらむ一方で、小山田には懸念があった。大学4年時に最速146キロだった松田は、短期間で10キロ近くも球速が上がっている。右腕にかかるストレスを本人に説明し、ケアを主眼としたプログラムを多く取り入れるようにした。
それでも、松田の右ヒジはすぐに悲鳴を上げた。治療に1年以上の時間を要するトミー・ジョン手術を受けることが決まり、松田の2021年シーズンは終わった。小山田は選手のコンディションを預かる立場から「申し訳ない」と自省する。
「何とかできなかったのか……と今でも悔いが残ります」
小山田自身もトミー・ジョン手術の経験者である。早稲田大を卒業後、北海道の伊達聖ヶ丘病院に勤務しながらクラブチームで野球を続けていたが、すぐに右ヒジを痛めてしまった。手術した小山田は、病院を退職してスポーツジムでアルバイトをしながらリハビリを続けた。
「ダルビッシュさんは私の命の恩人です」
するとある日、思いがけない人物からSNSを通じてメッセージが届いた。テキサス・レンジャーズのダルビッシュ有(現パドレス)からである。同じ時期にトミー・ジョン手術をしたダルビッシュは、小山田が術後の経過をつづった個人ブログを読み、わざわざ連絡してきたのだ。