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「ダルビッシュさんは命の恩人です」“無名右腕ドジャース契約”のウラに異色の29歳コーチの存在《BCリーグ最下位球団からNPB入り続出の理由》
text by
菊地高弘Takahiro Kikuchi
photograph byIbaraki Astro Planets
posted2022/02/04 11:01
ドジャースとマイナー契約を結んだ松田康甫。小山田コーチが語る舞台裏と、近年BC茨城に有望選手が集まる理由とは
「昨年の春のキャンプで初めて松田が走る姿を見た時は衝撃を受けました。いかにもバネを感じる、躍動感のある走り姿はウサイン・ボルトみたいでした」
ブルペンで松田の投球を見た小山田は、そのメカニズムに目を見張った。小山田が考えるスピードボールを投げるためのポイントを松田はことごとく押さえていたからだ。
「とくに大事なのは、前足のブロッキングです。やり投げ選手の投擲を見てもらえればわかりやすいですが、前足のヒザが固定できるかが非常に重要なんです。松田はそれが完璧にできていました」
松田はただ身体的に恵まれ、ポテンシャルが高いだけではなかった。小山田にどんどん質問してくるなど、貪欲さもあった。
「大学時代の実績がないからか、松田は少し自信がないところもありました。『ここはどうすればいいですか?』と細かく聞かれることもあったのですが、『お前は完璧だから、大丈夫だよ』と伝えていました」
もがいた大学時代、速球派…小山田と重なる姿
速い球を投げられるが、実績は皆無に等しい。そんな松田の姿は小山田自身とも重なった。小山田は早稲田大の1年生だった2010年秋に東京六大学リーグの新人戦で152キロをマークし、センセーショナルに報じられた過去がある。だが、小山田が大学4年間で残した実績は、リーグ戦登板わずか1試合のみ。もがき続けた4年間だった。
「152キロは出ましたが、それが続かなかったんです。大学3年時にウエートトレーニングと出合って、頑張ったらまた152キロが出ました。最初はうまくいっていたんですけど、『体重を増やせばもっとスピードが出るだろう』と考えて、脂肪までつけてしまった。そこから状態を落として、戻すのに残りの大学1年間を使ってしまいました」
大学4年の11月、卒業する4年生のための非公式戦で小山田は152キロをマークする。復調するのがあまりに遅すぎた。
そんな苦い過去を持つ小山田の前に現れたのが、松田という逸材だった。小山田の目には「大学の1学年後輩だった有原(航平/レンジャーズ)以来の才能」と映った。