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支配下から育成、投手からの転向…「チームで一番へたくそな外野手」DeNAの4年目・勝又温史の過去イチ明るいシーズンイン 

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石塚隆

石塚隆Takashi Ishizuka

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posted2022/02/07 06:00

支配下から育成、投手からの転向…「チームで一番へたくそな外野手」DeNAの4年目・勝又温史の過去イチ明るいシーズンイン<Number Web> photograph by JIJI PHOTO

契約更改後の会見に臨む勝又。かつての150キロ右腕が育成契約で打者転向。背番号も〝28〟から〝028〟に変わり、ゼロからのスタートを切る

「正直、あのときはピッチャーをつづけたくないという気持ちもありました。2年目のあの苦しさと、昨年中盤から崩れてしまったことを考えると、また頑張ろうと思うには相当なエネルギーがいるなって」

 ということは、悔しさのなかにある種の安堵の感情のようなものも混在していたということだろうか。

「うーん、そうですね。悔しさ8割、安心2割といった感じでしょうか」

 どれだけ思い悩んでピッチングしていたのか窺い知れる勝又の言葉。もはやこれで自分の野球人生も終わりかと思ったが、その後、球団からある提案をしてもらい、勝又は驚いたという。寝耳に水の話だった。

 それは投手から野手への転向。新たな挑戦をしてみないかと打診を受けた。

ゼロからの再出発

「プロになって3年間、当然ですけど生きたボールを打ったことはありませんし、バッティング練習をしていたわけでもありません。まさか提案していただけるとは思っていなくて、本当にありがたい気持ちでした」

 勝又は高校時代に30本塁打を放った打者であり、広角に長打を放つことができたことでスカウト陣から評価を受けていた。球団としては勝又をドラフトで獲得する際に打者としての適性も調査済みであり、そこに希望を見出したということなのだろう。

 その後、勝又は10月11日から11月1日まで開催されたフェニックス・リーグに外野手として参加。初打席でいきなり逆転のタイムリーツーベースを放つと18日の阪神戦では藤浪晋太郎から3打席連続安打を放つなど非凡なセンスをアピールした。本人は「たまたま打てただけですよ」と謙遜をするが、十分に可能性を感じさせるバッティングだった。

 またリーグ終盤には自ら志願し試合途中からマウンドに上がり、ピッチャーへの想いに決着をつけた。禊の登板。勝又は打者として生まれ変わることを誓った。

 最終的に15試合に出場し49打数14安打、打率.287、出塁率.300という出だしとしてはまずまずの成績だった。そして12月9日、勝又は育成選手としてDeNAと新たに契約を結んだ。

 あらためて打者となり、同じグラウンドではあるものの、これまで見えていた風景は一変した。

「バッターボックスからマウンドを見ると、こんなに近いんだなって」

 マウンドからホームベースまで18.44メートル。投手時代は、打者は遠くにストライクゾーンは狭く存在していた。

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