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雑草アタッカー・伊東純也が語る “大卒”のメリットとは? 県ベスト32公立校→CL出場、そして30歳直前で臨むカタールW杯
text by
浅田真樹Masaki Asada
photograph byGetty Images
posted2022/01/27 11:02
今季もヘンクで主軸を担うMF伊東純也。アジア最終予選ホーム2連戦でもキーマンになる
高校進学時には、「サッカーが強い私立へ行く選択肢もあった」というが、「強い高校の、寮とか、上下関係とかが嫌だなと思って。それで家から通えるところにしたんです。公立のほうがお金もかかんないし」。そうして選んだのは、母親の母校でもある神奈川県立逗葉高校だった。
「オレが入学する一個前の年に(全国高校選手権予選の)神奈川県決勝まで行っていて、結構強いじゃん、と思ったんですけど、入ってみたらめちゃ弱かった」
伊東が高3時の成績は、県予選ベスト32 。選手権出場の遥か手前で敗退した。
大学進学時に神奈川大学を選んだのも、「実家から通いたかったんで。シンプルに家から近いし、関東1部だったし」。その時点では、プロになりたいという気持ちも「それほど強くはなかった」という。
「オレ、大学1年のとき、監督やコーチからめっちゃ怒られていて。『後ろをダラダラ走んな!』とか(苦笑)。大学に行ったことで、プレー面でもトータル的に成長できたとは思いますけど……、一番は人間として、って感じです」
「ボコボコに負けた」試合で光った伊東のプレー
しかしながら、現在の状況とはおよそ不釣り合いな緩い経歴からも、よくよく話を聞いていると、いくつかの逸話に出くわす。
例えば、高校時代。
伊東擁する逗葉が、神奈川の強豪校、桐光学園と試合をしたときのことだ。
当日の試合会場には、桐光の選手目当てに大学関係者が数多く集まっていた。伊東の記憶によれば、「ボコボコにされて1-6で負けた」が、一太刀浴びせた伊東のプレーが、偶然にもスカウトたちの目に留まった。「それで、いろんな大学からオファーをもらいました」。
あるいは、大学時代。
関東1部と言えば、全国から優秀な選手が集まる、大学サッカー界最高峰のリーグである。「普通の県立(高校出身)の、県32の、9月に部活を引退していた自分が、どれくらいできるんだろう」。高いレベルでのプレー経験がなかった伊東は、少なからず不安を抱えていた。
ところが、「1年から試合に出られて、『あ、これ、オレでもできるな』って」。その後、関東選抜のメンバーにも選ばれるようになると、「そこにいる選手は、ほとんどプロへ行くみたいな感じだったんで、自分もならなきゃいけないって思いました」。
かくして、神大から当時J1のヴァンフォーレ甲府入りした伊東は、甲府で1年、柏レイソルで3年を過ごした後、2018年を最後に日本を離れ、ヘンクへ移籍。すぐに定位置をつかむと、渡欧から半年ほどでベルギーリーグ優勝の美酒に酔い、その数カ月後にはUEFAチャンピオンズリーグ(CL)の舞台に立っていた。