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《野球殿堂入り》プロ5年目の“失望と転機”…山本昌(通算219勝)を救った2人の大恩人とは「名前を聞くと、今でも背筋がピンと伸びる」
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byKoji Asakura
posted2022/01/15 06:00
現役生活32年間を中日ドラゴンズ一筋で活躍した山本昌。落ちこぼれから野球殿堂へ、名投手が今でも感謝する2人の恩人とは
「上からたたけ、前で放せ、低めに投げろ。アイクさんから口酸っぱく説かれたのがこの3つです。そして、僕は野球を辞めるその日まで、この3つを忘れることなく、肝に銘じていたんです」
「伝家の宝刀」スクリュー誕生秘話
当時の山本さんに必要なのはスクリューボールだと見抜いたのもアイクさんだった。連れて行かれたブルペンで投げていたのがフェルナンド・バレンズエラ。スクリューボールを自在に操る、大リーグ屈指のサウスポーだった。しかし、今でいえばジェイコブ・デグロム(メッツ)のスライダーを見せて、おまえも投げろと言うようなものだ。「とても無理だ」とため息をついた山本さんだったが、その2カ月後にあっけなくスクリューボールを手に入れる。同じ1Aのチームメートで野手とキャッチボールをしていたところ、その選手がえげつない曲がり球を投げてきた。「どう握っているんだ?」。教わった通りに夜の試合で投げたところ、いきなり空振りが取れた。その変化球が、大投手へと押し上げてくれたスクリューボールだった。
どんなに理不尽でもチャンスの扉を開放してくれていた星野さんと、どんなに疲れていても自分たちに向き合ってくれたアイクさん。2人から山本さんが受け取ったのは、とてつもない量の愛情と情熱だ。感謝の思いは、行動で示してきた。自宅の玄関にはアイクさんの写真を今も飾り、200勝を挙げたシーズンオフは1泊3日の超強行スケジュールでロサンゼルスのアイクさんの自宅に飛び、報告している。新型コロナが収束すれば、もちろん今回も渡米するつもりでいる。
2人の恩人に続いて野球殿堂入り
山本さんの大活躍の序章だけを見て亡くなったアイクさんは2002年(特別表彰)に、現役人生を最後まで見届けた星野さんは17年に、それぞれ野球殿堂入りを果たしている。大恩人と同じように、自らのレリーフも飾られる。
至高の瞬間。「自分の野球人生に携わってくださった方々の結晶だと思っています」という言葉は、紛れもない本心だろう。
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