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負けても高校サッカー史上最強。
山田、名波ら1990年の清商伝説。
posted2017/12/28 11:30
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph by
NIKKAN SPORTS
Jリーグが開幕する以前の高校サッカーに、モンスターチームが出現した瞬間があった。1990年度に活動した静岡県の清水商業高校である。
1991年1月開催の第69回全国高校選手権に出場した通称『清商(キヨショウ)』のスタメンには、錚々たる顔ぶれが揃っていた。GK大石尚哉(3年)と4バックを形成した望月慎之、薩川了洋、大岩剛(ともに3年)、西ヶ谷隆之(2年)は、いずれもJリーガーとなる。
中盤にはW杯プレーヤーがいる。1998年のフランス大会で全3試合に出場する名波浩(3年)が、攻撃のタクトをふるっていた。2000年のアジアカップ決勝で優勝弾を決めた望月重良(2年)も、攻守に影響力を持っている。
名波は日本代表で、望月重はプロ3チーム目のヴィッセル神戸で、それぞれ10番を背負うことになる。しかし、このチームでは名波は「7」を、望月重は「6」を着けていた。
時代の日本を背負う逸材と言われた山田隆裕。
山田隆裕がいたからである。19歳以下の選手で編成された1990年の日本ユース代表に名波、大岩とともに名を連ね、1992年のバルセロナ大会を目ざす五輪代表候補にも選ばれていた彼は、「次代の日本サッカー界を背負う逸材」である。
スピード、得点能力、テクニックを兼ね備えた背番号10のサイドアタッカーは、「いますぐにでも日本リーグで通用する」と言われていた。卒業後は日本リーグ(JSL)の強豪・日産自動車サッカー部の一員となることが決まっていた。
山田の存在はズバ抜けていたものの、対戦相手が警戒すべきは彼だけではない。センターフォワードの田光仁重(3年)や1年生ウイングの興津大三も、数年後にはJリーグの舞台に立つ好素材だった。
この年の選手権には出場できなかったが、背番号16のユニフォームを着る1年生は平野孝である。卒業後に名古屋グランパスの一員となり、大岩、望月重、西ヶ谷とともにアーセン・ベンゲルの薫陶を受け、名波とともにフランスW杯に出場した左利きのアタッカーだ。