箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
箱根駅伝2区で“17人抜き”した男・村澤明伸30歳の今「(大迫傑と)どんどん差は開いていく」「医師の指示で、一度完全に走るのをやめた」
text by
加藤康博Yasuhiro Kato
photograph byAFLO
posted2022/01/09 11:04
東海大時代、2010年、11年、12年と2区を走った村澤明伸(写真は1年時、この年も10人抜きを果たしている)
「走っている感覚がMGC前と同じなんです。力んでしまうし、スピードも上がらない。この記録会前からずっとそれに気がついていましたが、認めたくない自分がいて、目を背けて練習を続けていました。“手術したんだから治っているはずだ”と意地になっていたんですね。股関節が損傷していたのは事実でしたが、それは走りを崩した原因ではなく、結果だったってことです。このままじゃダメで、もっと本質的な原因に向き合わないといけないと思わざるを得なかった」
村澤は“完全に走るのをやめた”
関係者から紹介された医師の診察を仰ぐと「普通の人ができる当たり前の動きができていない。走る以前に取り組むべきことがある」と言われた。ここで村澤は2度目の決断に踏み切った。医師の指示通り、完全に走るのをやめたのである。
病名はなく、村澤は自分の症状を“機能不全”との言葉で表現する。
「調子を崩してから、痛みは一度もないんです。以前のように走れないのは、体が自然な動きができていないということに尽きると思います」
そこから現在に至るまで、骨格を正しい位置に戻し、正しく力を発揮する動作を取り戻すリハビリテーションに取り組み続けている。
かつてお世話になった人たちへの感謝を走りで伝えたい、そして今の仲間のために力になりたいという気持ちが彼の言葉の端々に現れる。前所属チームの活動休止後、本来の走りができない状態にも関わらず、今のチームに誘ってもらった。焦りがあることも否定しない。だが今はそれを抑え、辛抱強く、「今、やるべきこと」という単調で小さな動きのリハビリを繰り返す。
「最近、ジョグを始めていい許可も出ましたよ」
「月並みですけれど、今、この状態でも諦めずに前を向いていけるのは”頑張って“とか、”待っているよ“と応援してくれる人がいるからです。それが心の支えですね」
目指す先は駅伝なのか、マラソンなのか。それもまだ何も考えておらず、今はただ自身の走りをゼロから作り上げるつもりでリハビリに取り組んでいる。
「過去の感覚はもう忘れてしまいましたから」と村澤は笑う。世間が箱根駅伝に盛り上がっていた間も、かつてそこで自分が脚光を浴びた事実に心が乱されることもなかった。どの種目においても次に走るレースの結果が自己ベスト、そして新しい村澤明伸の姿なのだと彼は考えている。
「最近、ようやく自分の動きの感覚がわかってきて、どうすればいいかも見えてきました。ジョグを始めていい許可も出ましたよ」
年末、村澤は笑顔でそう教えてくれた。その表情は春先に見せていたものとは違う、彼らしい自然な明るさがあった。待っているファンがいる限り、村澤はきっと戻ってくる。
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