- #1
- #2
野球クロスロードBACK NUMBER
白血病公表、SNS開設…寡黙だった攝津正(元ソフトバンク)が情報発信を続ける理由「『言うべきことじゃないよね』って考えもあった。でも…」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byShigeki Yamamoto
posted2022/01/04 11:05
昨年1月に「慢性骨髄性白血病」を患っていることを発表した元ソフトバンク攝津正。現在は「グローブ再生工房Re-Birth」のアンバサダーも務める
「めちゃめちゃ野次られることもしょっちゅうでしたし。正直、心が折れそうな時もありましたよ。でも、そこで負けたらこの世界で生きていけないんで、なるべく人との関わりを遮断していたというか、余計な声や情報を入れないようにしていました」
勘違いしてほしくないのは、ここで攝津が心を閉ざし、自分の殻に閉じこもるようになったのではないということだ。オンとオフの切り替え。野球をしている間は、できるだけマインドセットしようと努めていたのである。
「そうですね」。攝津が小刻みに首を揺らす。
「若い頃からそうでしたから。人間って、嫌なことは知りたくないじゃないですか。だから、野球以外のところに神経が傾かないようにはずっとしていましたけど、チームメートとは普通に接していたと思いますよ。聞かれたら話すけど、必要以上には話さない。そういう部分がはっきりしていましたけど」
生来の性質もあるが、それ以上に体現したかったのが生き様だ。結果が出ず苦しんでいた2016年からの3年の間で、松坂大輔からプロとしての在り方を学んだように、自らも歩み寄ってくれれば誰にでも知恵を授けた。
昨季開幕投手・石川柊太に伝えたかったこと
代表的な選手に石川柊太がいる。
二軍暮らしが長くなった16年当時、育成選手だった石川との交流が増えたのだという。「ひとり黙々とやっていた自分のなかにポーンと入ってきたんで、すごく覚えています」と懐かしむ。攝津もまた、石川ら若者から学んだことが多かったというのだ。
「シンカーとかカーブの投げ方、コントロールの身に付け方とか『どうすればいいんですか?』と聞かれると、自分にできて人にできないこともあるんだということに気づかされたというか。他の選手の考え方もそうですし、自分に照らし合わせてみても『どう教えれば伝わりやすいんだろう』とか。この年あたりからファームにいる時間が長くなりましたけど、若い選手と接する機会も増えたんで、そこはよかったかなって思いますね」
石川で言えば、17年から支配下選手となると先発、中継ぎもこなす万能性でチームから重宝され、20年に最多勝を獲得。21年の契約更改で初めて年俸1億円に到達し、中心選手にまで成長を遂げた。
攝津は自分の影響力を否定するように、「それは、あいつが人懐っこい性格で頑張ったからです」と笑ったが、彼が伝えたいことはおそらく、「いかに自分の意思で成長への一歩を踏み出せるか?」ではないだろうか。
その認識に至ったのは、話が新監督に就任した藤本博史に及んだ時だった。