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ぶら野球BACK NUMBER
新庄剛志34歳「死をかけて危険なことをする」空を飛んだ日…異例の4月“引退宣言”でスタート、こうして新庄の“最後の1年”は終わった
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2021/12/12 11:03
2006年10月26日、新庄剛志34歳現役最後の日。日本ハムは初の日本一に輝いた
襟付きのアンダーシャツ着用は物議を醸し、甲子園で古巣・阪神のユニフォームに着替え試合前ノックに登場してヒルマン監督から注意を受けた。同時にその試合では、逆転のきっかけとなる中前打を放ち、チームの同率首位浮上に貢献しているのもまた、「パフォーマンスをやるからには勝つ」新庄らしい。
NPB通算200号アーチに王手をかけ、どこの球場で打てばいいか悩んだが、淡口憲治打撃コーチから「北海道の選手なんだから北海道で打てば。甲子園は201号でいい」というアドバイス通りに、6月16日の広島戦で佐々岡真司から11号ソロアーチを札幌ドーム右翼席へ運ぶ。意外なのがこのメモリアルゲームも、観衆1万3961人と“SHINJOさよならツアー”にしては寂しい客入りだったという事実だ。エンタメ興行は派手な仕掛けを打った直後は、その反動で通常営業時の客足が鈍る。パフォーマンスも繰り返す内にハードルもどんどん上がっていく。だったら、今度はラストダンスのプレーで魅せるまでだ。
現役No.1外野手アンケートで1位に
最後のオールスター戦を虹色バットや毛皮スパイク、電光掲示板付きベルトで盛り上げた翌月、8月22日楽天戦で日米通算1500安打を達成。この3連戦は2本塁打を含む3試合連続マルチ安打を記録して、「新庄ひとりにやられた。大ヤマを張られとる」なんて恩師でもある相手ベンチの楽天・野村監督をボヤかせた。だが、その直後に腰痛など全身の張りから精彩を欠き、9月に入ると欠場や途中出場で休養を挟みつつプレーを続けた。『週刊ベースボール』06年8月28日号「現役No.1外野手は誰だ!?」特集において、球界120人アンケートが行われ、2位福留孝介29票、3位英智12票を抑えて、1位に輝いたのは「SHINJO 34票」だった。
「肩と守備範囲がすごいと思う。あと打球判断も断トツですね」(Bs坂口智隆)
「阪神時代に一緒にやって、身体能力をはじめ、ずば抜けていた。スタートとスピードが超一級」(E関川浩一)
「足はもちろん、ポジショニングもいい。外野手というのは打球勘が大切。球際にも強い」(T吉竹春樹コーチ)
各チームから絶賛の声が相次ぎ、球団からは慰留の声もあったが、数カ月後にユニフォームを脱ぐことは決定的だった。とどのつまり、この男は球界No.1外野手のイメージのまま引退しようとしていたのだ。
最後の打席「お前、泣くな。真っ直ぐ行くぞ……」
ニッカンスポーツ一面に「自民と民主オファー合戦 新庄 参院選出馬要請」と衝撃的な見出しが躍った9月15日、札幌ドームで背番号1は大掛かりなイリュージョン・ショーを披露する。17日終了時で首位は7試合を残す西武だったが、ゴールイン目前で獅子は24日楽天戦、26日ロッテ戦と痛恨の連敗。そして9月27日、ゲーム差1の激しい順位争いを制したのは、札幌ドームのレギュラーシーズン最終戦でソフトバンクに快勝した日本ハムだった。