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ぶら野球BACK NUMBER
新庄剛志34歳「死をかけて危険なことをする」空を飛んだ日…異例の4月“引退宣言”でスタート、こうして新庄の“最後の1年”は終わった
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2021/12/12 11:03
2006年10月26日、新庄剛志34歳現役最後の日。日本ハムは初の日本一に輝いた
超満員4万3473人の歓喜の余韻が残る球場で、新庄はグラブ、リストバンド、タオル、この日限りのプロ入り時と同じ背番号63ユニフォームをセンターの守備位置にそっと置き、真っ赤な目でグラウンドを去った。「今日、この日、この瞬間を心のアルバムに刻んで、これからも俺らしくいくばいっ!」とアンダーシャツの背中に記されたメッセージ。新庄劇場と日本ハムの快進撃はまだまだ止まらなかった。
勢いそのままにソフトバンクとのプレーオフ第2ステージを2戦2勝で突破して25年ぶりのリーグVを決めると、落合中日と対峙した日本シリーズも4勝1敗で制し、前身の東映以来44年ぶり、日本ハム初の日本一に輝くのだ。新庄はプレーオフ初戦の3回に勝ち越しタイムリーを放ち、日本シリーズでも全5試合で「6番・中堅」として先発出場。一方で第3戦と自打球を当てた第4戦は9回の守備から退く。太腿の張りに重度のアキレス腱痛と下半身は万全とは程遠い状態だった。
第5戦8回裏、稲葉のダメ押しソロで3点リードとなり勝利を確信するが、同時に次が自分の最後の打席だと覚悟を決める。もうこの仲間たちと野球ができなくなると思うと、7回の守備から視界がボヤけて仕方がなかった。迎えた最終打席ではファンの絶叫と悲鳴と大拍手の中、涙を流しながらフルスイングの3球三振。マスク越しに中日捕手の谷繁元信はこう囁いた。
「お前、泣くな。真っ直ぐ行くぞ……」
身を削る命のやり取りの中に顔を出す、一瞬の人生のやり取り。これぞプロ野球の醍醐味だ。試合後にナインから感謝と惜別の胴上げで見送られ、日本一翌日の引退会見ではその胴上げをされながら、目はファンで埋まるスタンドを追っていたことを明かした。約束は果たしたぞと。「札幌ドームを再び超満員にする」「ファイターズを優勝させる」という公約を果たし、異例づくしの新庄剛志「最後の1年」は、大団円で終わりを告げたのである。
この年、移籍後最多の126試合に出場。打率.258、16本塁打、62打点で自身10度目のゴールデングラブ賞も受賞する。新庄の魅力と功績は数字面を凌駕したところにあるが、成績上でも第一線のレギュラー選手のまま身を引いたのだ。11月18日の札幌優勝パレードには、ひとりだけ私服で参加した。
あれから15年の間に日本ハムも新庄も色々あった。バリ島移住、金銭トラブルの被害、48歳の合同トライアウト受験、そして急転直下の監督電撃就任まで。
今度は“ビッグボス”として――。ついに北の大地に、その男が帰還する。<前編から続く>