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ぶら野球BACK NUMBER
18年前の新庄剛志、巨人・原監督から電話オファーも「これからはパリーグです!」振り返れば28歳新庄は“12億円”を捨て、“2200万円”を選んだ
posted2021/12/12 11:02
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
Sankei Shimbun
「阪神の内野が吉本からジャニーズへ」
これは『サンデー毎日』92年7月25日号の新庄剛志“目立ちたがり屋のニューアイドル”特集の見出しである。そらそうよ……じゃなくて、当時20歳の若虎はレギュラー三塁手オマリーの骨折でチャンスを掴み、5月26日の大洋戦、シーズン初スタメンの初打席で初球をとらえ、甲子園の左翼席へプロ初ホームランをかっ飛ばす。いわば、ひと振りで人生を変えてみせたのである。
新庄はこのプロ3年目のシーズン、前年の巨人戦でプロ初安打を放つも開幕一軍40人枠から外れ、希望していたアメリカ留学も叶わなかった。ドラフト5位入団で背番号63の自分が置かれた立場は理解していた。だから、オマリーの代役でほとんど経験のない三塁ができるかと聞かれたら、「できます!」と即答した。ずば抜けた強肩で俊足、パワーも度胸もある。背筋力220kgを誇り、入団1年目の選手名鑑では「右75キロ、左70キロの握力が自慢」と紹介されている。怪物級の身体能力の持ち主で、おまけにモデル体型のイケメンだ。真っ赤なリストバンドにサラサラの茶髪は、当時の阪神では圧倒的なアイドル人気を獲得する。
「イチゴのショートケーキが好き…」“亀新コンビ”に取材殺到
木村拓哉、香取慎吾、一色紗英が表紙を飾る『明星』92年9月号には、“ウブでひたむきな素顔に接近!”とグラビアで取り上げられ、「イチゴのショートケーキが好きなんです。5~6個はいけます。ほかにも、果物、チョコレート……甘いものはみんな好きです」なんてプリンススマイル。甲子園球場近くの合宿所・虎風荘まで歩いて数分の距離も、サインを求める女性ファンが殺到してしまうため車で通った。この年2位の阪神は最後までヤクルトと優勝を争い、新庄は11本塁打を放ち、オマリー復帰後はセンターに回った守備でも、甲子園の広い外野でファインプレーを連発した。