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ぶら野球BACK NUMBER
新庄剛志34歳「死をかけて危険なことをする」空を飛んだ日…異例の4月“引退宣言”でスタート、こうして新庄の“最後の1年”は終わった
posted2021/12/12 11:03
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
BUNGEISHUNJU
試合中に「今年でユニフォームを脱ぎます打法!」
「屈辱のスタメン落ち。崖っぷちに立たされたプリンス」
これは2006年4月発売の『週刊ベースボール』名物コーナー「週べ・オーロラビジョン」の見出しである。34歳の新庄剛志は開幕戦の札幌ドームでハーレー・ダビッドソンにまたがり登場して盛り上げたが、キャンプから左足アキレス腱の張りに悩まされ、4月13日の楽天戦で先発メンバーを外れた。前日まで16打数ノーヒット、春先から打撃不振で4月2日のオリックス戦ではプロ初のスクイズを命じられ、打率.170に低迷する背番号1に対し、記事内にこんなチーム関係者のコメントがある。
「ボロボロになるまでやるつもりはないようだ」
人の記憶はあてにならない。今となれば、“SHINJOらしい予想外の唐突な引退宣言”と振り返られがちだが、実はシーズン前から今年が現役ラストイヤーになるのではと各方面で囁かれていた。日本ハム時代の新庄はホームランを打つと打法名を命名しており、4月5日ソフトバンク戦での06年第1号には、「オレにしか分からないオーストラリア打法!」。そして、開幕19試合目の4月18日オリックス戦で2号ソロを左翼席へ叩き込むと、出迎える監督やナインとハイタッチする前に、ヘルメットを脱ぎ東京ドーム右翼席のファンに向かって最敬礼。すると試合中に広報へ、「28年間思う存分野球を楽しんだぜ。今年でユニフォームを脱ぎます打法!」と伝え、7回には3号満塁アーチを放ち、試合後のお立ち台へ。そこで、背番号1はあらためて「タイガースで11年、アメリカで3年、日本ハムで3年、今シーズン限りでユニフォームを脱ぐことを決めました」とファンに報告するのだ。
試合後の会見では「開幕戦の日に球場が満員になって、オレの夢はかなったなと。自分の仕事は終わりだと思った」と語り、まだやれるのでは……という質問にはこう答えた。
「守備でも自分が捕れると思った打球がワンバウンドしたり、刺せると思った送球が刺せなかったり。それは自分にしか分からない。もういっぱい、いっぱいだった」