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《引退》阪神・岩田稔が明かした“号泣会見”と病気から逃げなかった16年間…ビールかけが実現したら「あかんと言われても行く」
posted2021/10/19 11:03
text by
田中大貴Daiki Tanaka
photograph by
Sankei Shimbun
――現役生活、お疲れ様でした。先日は涙の引退会見となりましたね。
たくさんの方々にお声をいただきました。「感動して泣いてもうたわ」という方もいれば、「めっちゃ泣いてたやん」って笑う方も。僕のことをよく知っている人は、たぶん笑っていたと思います(笑)。
――プロ生活16年、30代半ばあたりから思うように一軍のマウンドに上がれない状況が続き、苦しいこともたくさん経験されたと思います。それでも「明日また球場に行こう」と思えたモチベーションはどこにあったのでしょうか。
そうですね、ここ5年はモヤモヤした気持ちがずっとありました。でも、朝早く目が覚めて、犬の散歩をして、と普段のルーティンのまま球場に行く。それが仕事として当たり前だったので、何かを特別に意識することはなかったです。
――生え抜きの鳥谷敬、能見篤史といった選手が退団。世代交代の波を感じる中でのプレーでしたが、「焦り」はありましたか?
「焦り」はなかったですが、自分もそういう歳になってきたんだなという実感はありました。意識していたのは「何事も楽しめるように」という気持ち。苦しい時間は長かったですが、楽しめないと前に進めないと感じていましたし、野球でも私生活でも、少しでも笑えることを見つけていました。
金本監督に言われた「明日からリリーフ」
――若手時代に比べると、考え方に変化はあったのでしょうか。
そこも変わってないですね。勝てなくなってきた自分がいるのは間違いないですが、新たに変えることで自分を見失ってはいけないとも思っていましたし、かといって現状のままでは(一軍に)上がれないということもわかっていた。投球フォームなど、少しずつマイナーチェンジをしながらやっていました。
本音を言えば、一度ガラッと変えてみたかったんです。そうすればまた違う自分も見えるんじゃないか、と。実際に今年に入ってからリリーフにチャレンジしましたが、それも自分から言い出したこと。(リリーフは)もうちょっと早いうちからやっておけばよかったですね(笑)
――やはり、「先発」にはこだわりがあった?
まったくこだわっていませんでした。病気のことを球団に配慮していただいて、(間隔が空く)先発というポジションをやらせてもらった、と僕自身は思っていて。それは本当に感謝しています。
リリーフと言えば、金本(知憲・前監督)さん時代のことを思い出しました。突然一軍に呼ばれて「明日からリリーフやから」と。どうやって試合に臨んでいいのかもわからない状況だったので、案の定、見事に打たれてすぐに登録抹消という経験をしました(笑)。監督の「どないかしたろう」という期待の表れだったと思うのですが、それに添えなかったのが悔やまれますね。