草茂みベースボールの道白しBACK NUMBER
〈引退〉語り継がれる中日・山井大介の日本シリーズ“完全試合未遂” 「もう一度あの日に戻れるとしたら?」と問われて明かした答えは…
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byJIJI PRESS
posted2021/10/07 06:00
2007年日本シリーズ第5戦、中日先発の山井大介は一人のランナーも許さず、8回まで日本ハム打線を完璧に抑え込む。しかし、9回のマウンドに上がったのは……
試合が始まって、その「不思議な感覚」はさらに研ぎ澄まされた。「谷繁(元信)さんのリードが手に取るようにわかったんです。首を一度も振ってないはずだし、サインを見る前にその球種の握りをしていたくらいだったんです」。淡々とアウトを重ねる。気がつけば8回を終えていた。わずか86球。歴史の長いワールドシリーズでさえひとりしか達成していないパーフェクトゲームまで、あと3アウトだった。
山井は降板し、クローザーの岩瀬仁紀が3人で抑えた。1点差。失点どころか出塁すら許されない究極の継投をやりきった。勝ったにもかかわらず、称賛だけでは終わらなかった。
「行けます」と即答した数秒後の“心変わり”
「なぜ代えた」。否定派の矛先は落合博満監督に向けられた。試合翌日の落合監督は、山井の右手中指にできたマメが試合中に裂け、血がにじんでいたと説明。故障予防のため、苦渋の決断だったというが、山井は否定する。
「確かにマメはできていたし、皮も破れましたが十分に投げられる状態でした。ユニホームのズボンにうっすら血が付いていたんですが、あれはロジンを触って、そのままボールを握るんじゃなく、ズボンで軽く指をぬぐうときに付いたんです」
マメは虚偽ではないが、降板の理由ではない。真相は8回の投球を終え、ベンチに戻ってきた直後の森繁和バッテリーチーフコーチとの会話にあった。「どうする?」と尋ねられた山井は「行けます」と即答した。うなずいた森コーチは奥へと歩きかけていた。
「今でも情景は覚えています。僕の横に谷繁さんがいて、僕は森さんの背中に声をかけたんです。『すいません。岩瀬さんでお願いします』と」
森コーチは再びうなずき、落合監督とブルペンに継投を伝えた。数秒後の心変わりを、山井はこんな言葉で説明した。
「投手である以上、自分から代わると言うことなんて、誰だってないと思います。ただ、自分は試合の前日には相手のデータを見て、投球をイメージするんです。完全試合からノーヒット、完封、完投みたいに。でも、あの日の前夜は総力戦をイメージしていました。自分はいっても5回だなと。そしてマウンドにいる岩瀬さんの元へ、みんなが集まるシーンを思い描いていたんです」
投手としての本能は続投だが、チームが背負い続けてきた日本一への長い道のりを思えば継投だと考えた。山井がどちらを選ぼうとも森コーチは首を縦に振った。それを落合監督は受け入れる。しかし、批判が出ることもわかっていた。「本人が代わると言った」ではなく「マメが裂けた」と話したのは、選手を守ろうという思いからだったのかもしれない。
14年前の秋。あの日、あの場所に戻れるとしたら……
別れではなく戦いのまっただ中にいた14年前の秋。あの日、あの場所に戻れるとしたら、何と答えるか。山井はやわらかい笑顔で言った。
「すべてが同じ状況なら、同じことを言いますよ」
悔いはない。そしてタフなマウンドを岩瀬が抑え、同じように歓喜の輪に向かって駆けているはずだ。
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