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「高校3年間で“1打席”。そんなプロ野球選手いないでしょ」ロッテ守護神・益田直也が“ぶ厚い柱”になるまで…マリン登板数は歴代最多「296」
text by
梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara
photograph byChiba Lotte Marines
posted2021/09/21 11:03
9月8日には史上17人目となる通算150セーブを達成した益田直也。今シーズンも12球団最多の33セーブを挙げている
「ボクの高校3年間は公式戦1打席ですよ。しかも1球。そんなプロ野球選手、絶対、他にはいないでしょ。たぶんボクだけだと思います」
そんな雑草のような日々を今、益田は誇らしげに語ってくれる。
甲子園常連校で何度となく全国大会に出場し、高校日本代表にも選ばれた選手たちが集うプロの世界にあって、彼は3年間で公式戦わずか1試合、1打席、1球しか経験をしていない。時間にすれば、おそらく1分もないだろう。
中学時代は投手と外野手の掛け持ち。高校に入学をすると肘を痛め、遊撃手に転向した。野球部には同学年は20人ほどいた。控え組の益田は、高3夏までベンチ入りすることすら出来なかった。もちろん当時の益田はプロなど夢物語としても語ることはなかった。
大好きな野球を続けるか、辞めるか
高校3年の時の進路決定が人生の大きな分かれ道となる。
大好きな野球を続けるか、辞めるか。母子家庭で育ち、経済的にも決して楽ではなかったため消防士や警察官を目指すというのが現実的な選択肢ではあった。
ただ、選んだのは関西国際大学でもう1度、投手として本格的に野球を続けることだった。高校時代に公式戦わずか1試合、1打席、1球で終え、燃え尽きることが出来なかったことが結果的にこの選択へと導いた。奨学金制度を利用。練習後の18時半から21時半まで時給1000円ほどのアルバイトをしながら学校に通い、野球を続け、スカウトの目に留まることになる。
「大学時代、指導者の方に恵まれました。監督、コーチ。本当に出会いのおかげで道が開けました」
中央球界無名の男は、2011年のドラフトでマリーンズ最後の指名となる4位でプロの門を叩くことになる。
地元和歌山での契約を終え球団主催の食事会での事を益田は今でも鮮明に覚えている。祝いの場で、益田は涙した。プロへの道が開かれた喜びと、ここまでの道のりを思い返し、涙した。涙はどうやっても止まることはなかった。嬉しくて嬉しくて、いつまでも涙した。気が付けば同席をしていた人すべてが、もらい泣きをしていた。お酒が入っていたこともあり、延々と涙した。益田は後にも先にもあれほど泣いたことは記憶にない。