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欧州で大ブレイク+W杯出場→W不倫疑惑や離婚など大モメ私生活… 超人フッキ35歳、漫画みたいな傍若無人さ〈プレーは円熟〉 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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posted2021/08/20 11:02

欧州で大ブレイク+W杯出場→W不倫疑惑や離婚など大モメ私生活… 超人フッキ35歳、漫画みたいな傍若無人さ〈プレーは円熟〉<Number Web> photograph by JMPA

セレソン、W杯出場まで上り詰めたフッキ。35歳の今もブラジル国内で存在感を発揮している

暴行事件で出場停止も翌年MVP、震災時には……

 日本、そしてポルトでの活躍を経て、セレソンに選ばれるほどの超一流選手になった。しかしながら、血の気の多さは相変わらずだった。

 2009年12月末、宿敵ベンフィカと熱戦を繰り広げた後、エキサイトした両チームの選手がスタジアムの通路で衝突。殴り合い、蹴り合いの大喧嘩となった。さらに、仲裁に入ったスタジアムの警備員に対してフッキらポルトの数選手が暴行を働く事件が発生。主犯格だったフッキは、約3カ月間、18試合に及ぶ出場停止処分を受けた。このブランクが響いてこのシーズンは10得点にとどまった。

 ブラジル代表のドゥンガ監督は、厳格なことで知られる。プレー内容の低下に加え、トラブルを起こしたことを重く見て、2010年W杯への招集を見送った。

 しかし、この“超人”はこれくらいのことでへこたれたりなどしない。2010-11シーズンは絶好調で、ポルトガル・リーグで26試合に出場して23得点(得点王)。リーグMVPに選ばれ、ポルトはUEFAヨーロッパリーグ、ポルトガル杯も制覇して三冠を達成した。逆境をバネとして、生涯最高のシーズンを送ったのである。

 なお2011年3月11日に東日本大震災が発生すると、彼は自分を育ててくれた日本と日本のファンへの感謝の気持ちと思いやりを態度で示した。震災から3日後に行なわれたウニオン・レイリア戦でPKを決めると、テレビカメラへ駆け寄ってユニフォームをたくし上げた。アンダーシャツの胸には「日本よ、私の心は泣いている」、背中には「私は皆さんと共にいる。ガンバレ」と書かれていた。主審は、彼にイエローカードを与えた。

欧州ビッグクラブからオファーが舞い込んだが

 この頃から、フッキは以前のように審判に鬼の形相で抗議することが少なくなり、イエローカードをもらう回数も激減していた。そして、その中の1枚にはこのように決して不名誉ではないものも含まれていた。

 翌2011-12シーズンも、好調だった。リーグ戦で16得点をあげて連覇に貢献し、2季連続でリーグMVPに選出された。

 ポルトガルで大ブレイクしたことで、フッキは世界のトップレベルのストライカーの仲間入りを果たした。チェルシー、ドルトムントといった欧州ビッグクラブから好条件のオファーが舞い込んだ。

 顕著な活躍をして複数のクラブからオファーを受けた場合、ほとんどの選手はその中で最も格が高いクラブを移籍先に選ぶ。しかし、フッキはそうしなかった。2012年9月、移籍金6000万ユーロ(約78億円)でロシア・リーグのゼニトへ入団。年俸は推定700万ユーロ(約9億円)と報じられた。キャリア上のステップアップよりも条件面を優先したのである。

 しかし、ゼニトでフッキは強烈な逆風にさらされる。

【次ページ】 ロシアで冷酷な扱いを受けたがW杯へ

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