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妻との入籍日は松田直樹の命日《8月4日》…飯田真輝35歳はなぜ「マツさんの思い」を“勝手に受け継いだ”のか
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byNARA CLUB
posted2021/08/05 17:02
松本山雅で松田直樹と共にプレーし、現在は奈良クラブに所属する飯田真輝(左)
あの夏、松田は練習中に急性心筋梗塞で倒れ、意識不明の状態が続いていた。病院に駆けつけてチームメイト全員で回復を祈った。
集中治療室に通され、ベッドに横たわる松田と対面した
極めて深刻な状況であることは伝わっていた。数人ずつ集中治療室に通されると、飯田もベッドに横たわる松田と対面した。それぞれが心のなかで松田に呼びかけていた。もちろん飯田自身も。
「マツさんはJ2に上げるってずっと言っていて、その先には山雅を全国区にしたいっていう思いがありました。マツさんは黙ったままで返さないけど、僕がそれをしたいって勝手に約束して、勝手に守ろうと思ったんです」
8月4日、松田は天国に旅立った。言葉にできないほどのショックを受けた。事実を受け入れられるわけがなかった。
だが試合は3日後に控えていた。立ち止まっていては、松田が語っていた目標を達成することなどできない。飯田は大きな悲しみに直面しながらも、前を向こうとしていた。
「マツさんのために」を合言葉に松本山雅は順位を上げていき、終盤5連勝を挙げて4位以内を確定させる。昇格を決めたホンダロック戦でも飯田のヘディング弾が火を噴いている。攻守における彼の活躍は大きかった。
飯田は言う。
「ハッキリ言って、山雅での2年目(2011年シーズン)って最初はほぼほぼ目標ってなかったんです。でもマツさんと出会うことができた。マツさんの出来事は本当に悲しいことでしたけど“全国区にする”と勝手に約束して、僕の方向性が決まったんです。だからあのシーズン、あれだけやれたと思うんです」
妻との入籍日は松田の命日である8月4日
毎年の墓参りは欠かさない。
手を合わせては「全国区に近づいたかどうか」を問うてみる。チームの報告も、プライベートの報告も忘れない。
2017年には、交際していた一般女性と入籍した。実は2人で籍を入れたのが、松田の命日である8月4日だった。