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妻との入籍日は松田直樹の命日《8月4日》…飯田真輝35歳はなぜ「マツさんの思い」を“勝手に受け継いだ”のか
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byNARA CLUB
posted2021/08/05 17:02
松本山雅で松田直樹と共にプレーし、現在は奈良クラブに所属する飯田真輝(左)
「どうしてもこの日がいいって奥さんに言ったら、理解してくれて。この日はアウェーの湘南戦の前日だったんですけど、宿舎を1回出て、東京に住んでいた奥さんに平塚まで電車で出てきてもらって市役所に婚姻届を出したんです」
松田の思いを勝手に受け継いだ
松田の思いを勝手に受け継いだ、松本山雅を全国区にするという思い。その一念で彼は踏ん張ってきた。
反町監督のもと2015年に初めてJ1で戦い、2019年にもう一度その舞台に戻ってきた。だがここでも「壁」にはね返されてしまった。降格が決まった第33節ガンバ大阪戦の後、心のダメージは相当にあったという。
「1回目のJ1はお祭り気分みたいなところもありました。でも2回目はJ2でちゃんと優勝して昇格して、本気で詰めてやってきたけどダメだったなっていうのがあって。ガンバに負けたときに、自分にはJ1に残せる力がなかったと感じたんです。ただ、まだ最後にもう1試合ありましたから、J1の記憶をサポーターにどれだけ残すことができるかっていう気持ちに切り替えました」
最終節の湘南ベルマーレ戦は、自分の力を出せた気がした。1-1の引き分けで勝利はできなかったものの、せめてもの意地だった。
フロントにはあるお願いをしていた。来シーズンの契約の話は、クラブとして結論が出たその日にしてほしい、と。
「自分もこの日だな」という直感があった
ベルマーレ戦の翌日、反町監督が選手たちにチームを去る決断を伝えた。そして飯田にも「自分もこの日だな」という直感があった。フロントに呼ばれ、契約満了を伝えられた。
34歳の年齢と、このチームのなかでは年俸も上位のほう。若返りの方針も聞いていただけに、静かに受け入れた。
シーズン初先発となった第6節のヴィッセル神戸戦でゴールを奪ってから、シーズン最後まで先発の座を守った。それでも自分をずっと見てきてくれていたフロント陣がそう判断するなら仕方ないと自分を納得させた。退団のリリースもその日にクラブから出してもらった。
この日の夜、都内でチームの納会が催されることになっていた。
退団が決まったことでプロになって初めて代理人をつけるなどしていたため、チームとは別行動で、少し遅れて特急あずさに乗り込んだ。
9年半在籍した松本から離れなければならないという現実。
「2時間くらいずっと泣いていましたね。もう松本山雅の力になれないんだって思うと、もう勝手に……」
“全国区にする”目標の道なかば。
大きな体は、ずっと揺れていた。
(後編に続く)
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