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あれから10年、松田直樹の死に向き合うということ「立ち尽くして、マツさんって名前を呼ぶことしか…」<元チームメイトが語る>

posted2021/08/05 17:03

 
あれから10年、松田直樹の死に向き合うということ「立ち尽くして、マツさんって名前を呼ぶことしか…」<元チームメイトが語る><Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

2011年、練習中に急性心筋梗塞で倒れ、帰らぬ人となった松田直樹。あれから10年の月日が経った(2011年撮影)

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph by

Takuya Sugiyama

松田直樹さんの“遺志”を継ぐ元チームメイト飯田真輝のインタビューの後編です(前編はこちら)。

 9年半在籍した松本山雅を離れることになっても、どこかでサッカーをすることに変わりはない。衰えたとも感じていない。34歳のディフェンダー、飯田真輝に現役引退の選択肢はまったくなかった。

 敬愛する松田直樹も33歳で横浜F・マリノスを離れ、松本にやってきた。次のチャレンジに向かうと思うと楽しみになる自分もいた。

 トライアウトにも、あるチームの練習にも参加した。だが待てど暮らせどJリーグのクラブからのオファーは来ない。代理人にも相談して、無所属のまま夏の移籍期間まで待つことも考えた。

「自分のなかでパフォーマンスは落ちていないと思っています。ただ年齢や金額のこともあると、どうなのかなって。ただ深く考えないようにはしました。いつでもやれるように個人で午前、午後とトレーニングしてコンディションを整えてはいました」

退団のコメントには「松さん」の文字があった

 実は山雅と契約満了になって真っ先に連絡をくれていたのが山雅の元チームメイトでJFLのFCマルヤス岡崎の監督を務める北村隆二であった。“ウチに来い。困ったら連絡しろ”と伝えられていた。

 2月に入って自分で設定した期限までにオファーが来なかったため、北村に連絡した。温かく迎え入れてくれた。JFLに戻ることにも抵抗はなかった。北村には感謝しかなかった。

 新しい所属先がやっと決まったことで、松本山雅のファン、サポーターに正式に別れを告げるときがやってきた。クラブを通じて発表したコメントには「松さん」の文字があった。

【次ページ】 サポーターにこれからも継承してほしいという思い

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