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「川口能活」がトレンド入り…17年前の同じ日、28歳GK川口が“神”になった夜「ヨルダン戦PK、俊輔×三都主×からの大逆転」
text by
阿部珠樹Tamaki Abe
photograph byAFLO
posted2021/08/03 11:05
17年前、04年7月31日のアジアカップ準々決勝。ヨルダンとのPK戦で左手一本の神セーブを見せた川口能活(当時28歳)
「PKを蹴るとき…いるのはボクとキーパーだけ」
キッカーは決めてあたりまえとみなされがちである。それだけに追い詰められ、守勢に回る。一方、GKはセーブできなくてもあたりまえとみなされがちだから、心理的には攻勢に立っている。PK戦では、守護神が実は攻撃の先頭に立っているのだ。この前提を理解しないと、GKが信じられないような好セーブを連発したり、キッカーがとんでもないミスキックをしてしまう理由は理解できないだろう。
ただし、これはあくまでも始まる前の心理的な立場の話である。選手たちが、悩める人のように、PK戦の間、ずっと過去の記憶に縛られているということではない。
いざ、はじまってしまえば、過去のキズや歓喜のイメージよりも、もっと思い浮かべなければならないことがある。ボールにどれだけ集中できるかということである。
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「PKを蹴るときは、ゴールのうしろに誰もいない感じがする。いるのはボクとキーパーだけ、みたいな」(三都主)
「相手のサポーターが騒いでいても、全く気にならないです。ブーイングは耳に入るけど、それでいやな気持ちになるわけでもないし。そうされるのがかえって好きなほうかもしれない。燃えるから」(鈴木)
“頭を強打した”川口の異常な集中力
三都主の話は、どこか小泉八雲の「耳なし芳一」を連想させる。闇の中に経文を書き忘れた耳だけがぽっかり浮かんでいるように、満員の観客の姿は消えて、目の前にゴールとGKだけが浮かび上がる。鈴木は耳を通してブーイングを声援に翻訳しているらしい。
幻視を見たり、幻聴を聴いたりするのは、集中力を高めようとして、頭の中から余計なものを次々に追い出して行くからだ。無に近づくにつれて、見えるはずのものが消えたり、罵声が声援に聞こえたりする。無に近づくことで集中力が高まった典型的な例を、川口が語っている。
「'95年のサンフレッチェとの試合。相手と交錯して頭を打って、1分間くらい意識が朦朧としたんです。包帯で頭をぐるぐる巻きにしてプレーをつづけて、そのままPK戦に入ったんですが、あの時は異常なほど集中力を発揮できた。PK戦は2本止めて、4-1で勝ちました」
意識朦朧たる無の状態によって集中力が高まり、好セーブが連発されたというのだ。
だからといって、PK戦に備えて全員が頭を強打するわけにもいかない。日本チームがこのPK戦を制することができた理由が、「無に接近することで生まれる集中力」だったとすれば、それを作り出した客観的な要因もあったのではないか。
ヨルダン戦PK 川口「音は聞こえない、ボールも見えない」
「どちらが先に蹴るか、コイントスをするでしょう? 投げる前、主審に自分はどっちだということをいっておくんですが、あの時は自分がどっちを選んだのかわからなくなってしまった。疲れてて、朦朧としていたんです」(宮本)