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「川口能活」がトレンド入り…17年前の同じ日、28歳GK川口が“神”になった夜「ヨルダン戦PK、俊輔×三都主×からの大逆転」
posted2021/08/03 11:05
text by
阿部珠樹Tamaki Abe
photograph by
AFLO
奇しくも17年前の同じ7月31日、川口能活(当時28歳)はアジアカップの準々決勝ヨルダンとのPK戦で“神”と呼ばれた。あの中国での伝説の夜を当時の代表選手たちの証言で振り返る(全2回/後編へ)。【『Number』2004年12月23日発売号】
PK戦での決着。しかも、2本先行されたところからの逆転勝ちという劇的な結末だっただけに、'04年のアジアカップ、日本対ヨルダンの試合は、見ていた人に強烈な印象を刻んだはずだ。
しかし、結末の印象が強烈なだけに、プロセスは忘れられてしまう。プロセスがあってこそのフィナーレなのに。
道程を知るには録画映像では足りない。言葉だ。選手の言葉と、そこから導き出される仮説や推論。その先に、サッカーのある側面が、ひとつの試合の持つ意味が、はっきり姿を現すだろう。
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「'04年のゼロックス・スーパーカップでPKを外していたので、ヨルダン戦でPK戦になったときも、そのことを思い出しました」(3番目のキッカー・福西崇史)
「'96年のアジアユース3位決定戦で、UAEとやったPK戦をよく覚えてます。優勝をねらっていたのに決勝に進めず、PK戦も落として4位になってしまった。マイナスの記憶ですね。もともとPK戦によいイメージは持っていない」(7番目のキッカー・宮本恒靖)
「(宮本と同じ)アジアユース。いつも蹴っているのと逆をねらって、絶対取れないだろうってところに飛んだのに、防がれた。あのGKの動きは高校サッカーレベルでは絶対にありえないようなものだったから、すごく勉強になった」(1番目のキッカー・中村俊輔)
「負けたときの印象が強いですね。高校の県大会でPK戦になって、負けちゃって優勝できなかった。それが一番印象に残っている」(2番目のキッカー・三都主アレサンドロ)
「ナビスコカップでレイソルとPK戦をやって負けています。だいたいPKが好きだっていう選手、いるんですかね?」(5番目のキッカー・鈴木隆行)
川口能活の記憶だけが正反対だった
日本代表はヨルダン戦で7人がPKを蹴ったが、キッカーたちに過去のPK戦の記憶を尋ねると、ほとんど失敗したこと、負けたことのほうをよく覚えていた。
「印象に残っているPK戦はないです」という中澤佑二(6番目のキッカー)はさておき、よいイメージを持っていたのは中田浩二(4番目のキッカー)くらいで、その中田にしても、「自分のPKって、危なっかしいけどよく入るんですよ。ねらったところにいかないから(苦笑)。ツイてるなっていつも感じます」というほどの頼りないイメージだった。
それに対して、相手のPKを止める立場のGK、川口能活の記憶は正反対だった。
「高校3年の選手権の準決勝、鹿児島実業との試合。4本目を止めて勝ったんですが、その時だけキッカーに向かい風が吹いた。あれは印象に残ってます。Jリーグでは、'95年に三ツ沢でセレッソとやった試合。3-3から味方が外し、あとのないところで、相手のGKジルマールがキッカーに出てきて、それを止めて勝った」
という具合に、うまくいったこと、勝ったときのことが次々に出てくる。
多くの場合、守勢に立つ側は失敗を記憶し、攻勢の側は成功を記憶しがちだ。それを当てはめれば、PK戦でも「攻める」キッカーのほうが成功の記憶を持っていそうなものだが、実はそうではない。PK戦はキッカーにとっては守り、GKにとっては攻撃の意味をもっている。