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<65歳に>「モスクワで走っていれば金メダルだった」マラソン界のレジェンド・瀬古利彦が語る“狂った人生の歯車”
text by
加藤康博Yasuhiro Kato
photograph byShigeki Yamamoto
posted2021/07/15 06:00
7月15日で65歳の誕生日を迎えた瀬古利彦。日本陸上競技連盟マラソン強化戦略プロジェクトリーダーを務める
モスクワで走る機会を奪われ、競技人生の歯車が狂った
モスクワに出られなかった悔しさは引退後に襲ってきました。1980年当時は若かったので自分が衰えるということも想像できませんでしたが、マラソン選手のピークは本当に短いものなのです。そして一度出て経験しておけば、ロスの前も自分を見失うことなく冷静に準備できたでしょう。やはりモスクワで競技人生の歯車が狂ったのは間違いないですね。走って負けたのではなく、走る機会を奪われたのですから。
2016年から東京五輪に向け、強化の仕事をするようになりました。近年、男女ともマラソンで好記録が連発し、活況を呈していますが、世界のレベルは高く、東京五輪でのメダル獲得は簡単ではありません。しかし狙わないことにはそこに手が届かないですし、そのつもりで頑張っています。
選手も1年、延期になったことで強化の時間ができたり、代表以外の選手が活躍し、刺激を受けたりとメリットもあったと思いますが、「日本代表」というプレッシャーを1年余計に背負い、精神的に厳しい日々が続いているでしょう。私自身も経験していますので、その気持ちは理解しています。これから本番に近づいていきますので、引き続き、サポートしていくつもりです。
オリンピックを走れなかった身としては……
コロナ禍により東京五輪を取り巻く世論の声も耳に届いています。感染症対策を第一に考えるべきですし、「スポーツどころではない」という意見も当然と思います。しかしオリンピックを走れなかった身としては無観客でもいいので開催していただきたいというのが正直な気持ちです。
まだ私たちはコロナに打ち勝ったとは言えませんが、だからこそ今の日本にはみんなが一つになって熱くなれるものが必要だと思います。メダルに縁がなかった私ですが、オリンピックが言葉にできないほど素晴らしいものだと知っています。そしてその力で日本が元気になることを願っています。