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引退を伝えると親友・細貝萌は泣いた…イランなど7カ国でプレーした赤星貴文が激動の半生を語る【妻とはポーランドで出会う】
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJ.LEAGUE
posted2021/06/10 11:01
浦和レッズ時代からの親友、赤星貴文(左)と細貝萌
イランへは単身赴任「良い経験にはなりました」
赤星は清水エスパルス元監督のアフシン・ゴトビが指揮を執るイランのフーラードに呼ばれることになる。ゴトビがブリーラムの監督時代に赤星を見て、評価していたからだ。
わずか3カ月半の短期移籍だったこともあって単身赴任。イランリーグのレベルは高かったという。
「ACLでも上位に行くし、イランから欧州に出ていく選手も多い。体格もいいし、スピードもある。プレーしていても面白かったですね。環境は文化が違うとあって慣れないことはあったし、インターネットの制限などもありましたけど、良い経験にはなりました」
だがイランから離れる際にチームに預けたパスポートの返却が遅れ、シーズンが終わっても1カ月半、出国できなかった。外部とコンタクトが取れない事情もあって再び移籍マーケットに乗り遅れてしまった。
「誰も知らないところでの生活は僕に合っていた」
プレー先が限定されるなか、オファーをくれたのがインドネシア1部アレマ。家族でインドネシアに渡り、半年間プレーをした。そして次の移籍先が見つからず、コロナ禍もあって1年以上にわたってプレーできないことになる。
ラトビアから始まりポーランド、ロシア、タイ、イラン、インドネシア。他の日本人フットボーラーがあまり行かない国でも、「期待してくれているなら」と喜んで向かった。日本人プレーヤーがいないというなら、逆にモチベーションになった。
町に日本人すらいないこともある。出戻りを含めて計5シーズン所属したポーランドのMKSポゴニ・シュチェチンがあるシュチェチンも、自分が知っている日本人は大使館に務めていた1人だけだった。
「特に不安みたいなものはないですし、誰も知らないところでの生活は僕に合っていたとは思います。刺激があるほうがいいと言いますか、自分から開拓していきたいなっていう思いはありましたね」
英語は浦和時代から勉強していたが、実践となるとまた違う。