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「短くて3カ月」父が余命宣告されるなか…ラトビアなど7カ国を渡り歩いた元浦和レッズ・赤星貴文が引退から1カ月で復帰したワケ
posted2021/06/10 11:00
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
Gakunan F Mosuperio
脱いだスパイクを、再び履く。
SNSで現役引退を発表した1カ月後に、赤星貴文は静岡県社会人1部・岳南Fモスペリオで現役復帰を果たした。
岳南Fモスペリオは将来のJリーグ入りを目指す静岡・富士市、富士宮市をホームタウンに置くクラブ。富士市出身の赤星にとっては地元での再出発となる。引退表明を知ったクラブ側からアプローチを受け、スポンサー営業をこなしながらの“社員契約”だという。
プレーするクラブが見つからなかったから引退を決め、見つかったから復帰したという単純なストーリーではないことを最初に記しておきたい。父と息子の絆によって、この奇跡が生まれたということを――。
元浦和レッズの赤星は現在35歳。多くのクラブ、多くの国を渡り歩いてきたさすらいのフットボーラーである。
ラトビア、ポーランド、ロシア、タイなどでプレー
清水エスパルスジュニアユースで日本一を経験し、山田暢久、長谷部誠に続いて藤枝東から鳴り物入りで浦和レッズに入団したのが2005年。
だが中盤の分厚い選手層に割って入っていけず、水戸ホーリーホック、モンテディオ山形にレンタル移籍。2009年シーズン限りで戦力外となる。当時JFLのツエーゲン金沢でプレーした後、ラトビア王者リエパーヤから海外のキャリアをスタートさせる。ポーランド2部MKSポゴニ・シュチェチンに移籍して1部昇格に貢献するなどチームの中心を担った。ロシア、そしてポゴニ復帰の後、今度は活躍の舞台をアジアに移す。タイに渡り、イラン、インドネシアを経て2020年1月からはフリーランスとなった。
妻と娘の3人暮らし。イラン以外はどこに行くのも一緒で、世界を回っていく生活は家族も気に入っていたという。長女が小学生になるタイミングで、オランダ移住を決める。新型コロナウイルスの猛威が世界に広がっていくなか、出国の準備を急いで3月に渡った。