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13歳でレアルから1億円超のオファー、16歳女性を妊娠させ、バルサと密約でサントス出禁… ネイマールの知られざるトラブル史
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byTakuya Sugiyama(L)/Getty Images(C,R)
posted2021/06/09 12:31
サントス、バルサ、PSG…所属クラブでスーパープレーを見せるネイマールだが、トラブルも多い
父親と代理人はレアル・マドリーからの"オファー"に舞い上がったが、本人が幼友達と離れて外国に住むのを嫌がった。
父親は、サントスの幹部と交渉。レアル・マドリーから提示されたのとほぼ同額の"支度金"と"給料"を出すことを条件に、息子をサントスに残留させた。ブラジルでは16歳にならないとプロ契約ができないので、これも“グレー”である。
そして、13歳でナイキとスポンサー契約を結んだ。ナイキにとって、史上最年少の契約選手だった。
ネイマールの父親が語っていたこととは
ネイマールの父親は、筆者とのインタビューにこう答えている。
「選手としての私と息子の違い? それは才能だ。息子の才能が自分とは比較にならないほど巨大なのは、幼い頃から気づいていた。しかし、その才能の大きさを本当に理解したのは、レアル・マドリーの練習に参加したときだ。
世界トップクラブの専門家が高く評価し、まだ13歳なのに驚くような条件を提示して欲しがった。これを見て、『俺の息子は本当にすごいんだ』と思った(笑)。
息子が14歳のとき、私は仕事を辞め、彼の才能に一家の命運を賭けることにした。すべての練習とゲームに付き添い、 事細かくアドバイスをした。妻には、栄養面で万全のサポートをしてもらった」
17歳でトップチーム、翌年にはセレソンに
無謀とも思えたこの賭けは、結果として大成功を収めた。彼が、爆発的なスピード、驚異的なテクニック、常識を覆すアイディアと創造性を備え、超絶ドリブラーでありながら優れたストライカーへと成長していったからである。
サントスの下部組織では、常に年齢より上のカテゴリーでプレーし、しかもチームの中心選手だった。2009年3月、17歳1カ月でデビュー。ほどなくレギュラーポジションを獲得し、ブラジルの年代別代表にも選ばれた。
2010年7月、ブラジル代表の強化試合(対アメリカ代表)に初招集され、いきなりゴールを決めた。以後、クラブでも代表でも絶対的な選手となっていく。13歳のときに彼を取り逃したレアル・マドリー、さらにはバルセロナなど多くの欧州ビッグクラブからオファーが殺到した。
翌年の2011年、サントスの中心選手としてコパ・リベルタドーレスで優勝。この年と翌年の南米最優秀選手に選ばれた。