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13歳でレアルから1億円超のオファー、16歳女性を妊娠させ、バルサと密約でサントス出禁… ネイマールの知られざるトラブル史
posted2021/06/09 12:31
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Takuya Sugiyama(L)/Getty Images(C,R)
ネイマールは、どのようなキャリアを歩んできたのか、そしてどんな人間なのか――。日本のファンにはあまり知られていないであろう事実を紹介しながら、考察してみたい。
1992年2月5日、父ネイマールと母ナジーネの間に長男として生まれた。フルネームは、ネイマール・ダ・シウバ・サントス・ジュニオール。父親が自分と同じファーストネームを選んだので、名前の最後に「ジュニオール」(英語の「ジュニア」)が付いている。
生まれたのは、サンパウロ郊外の中都市モジ・ダス・クルーゼス。日系人が多く住む農業と商工業の町だ。父親がプロ選手で、当時、地元のクラブでプレーしていたのである。
父親は、国内の中小クラブを渡り歩いたアタッカーだった。小柄で、あまりスピードはなかったが、まずまずのテクニックの持ち主だったようだ。1996年、妹のラファエラが誕生。翌97年、父親は現役を引退した。32歳だった。
ブラジルの中小クラブの選手の給料は低い。父親は10年余り、プロ選手としてプレーしたが、蓄えはほとんどなかった。住む家がなく、一家はサントス郊外に住んでいた父親の父親(ネイマールの祖父)の家の一室に転がり込んだ。父親は、サントスの水道局に職を得た。
13歳のとき、代理人の口聞きでマドリーから……
ネイマールは、ヨチヨチ歩きの頃から父親にフットボールの手ほどきを受けた。毎日、路上や近所の広場でボールを蹴り、6歳で地元のフットサルチームに入ってテクニックを磨いた。11歳でサントスのフットサルチームに加わり、やがてフットボール部門の下部組織へ。
小柄でほっそりしていたが、軽やかな身のこなしと華麗なテクニックは群を抜いており、クラブ関係者の間で「ペレの再来」と評判になった。U-13のサンパウロ州選手権で大活躍し、国内有数の敏腕代理人が付いた。
13歳のとき、この代理人の口利きでレアル・マドリーの練習に参加し、紅白戦で得点を量産。レアル・マドリーから100万ドル(約1億1000万円)の"支度金"と相当額の"給料"を提示されたという。欧州では外国人選手は18歳にならないとプロ契約ができないから、グレーな条件である。