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「夢はアストンマーチン」パラ馬術・高嶋活士が抱く意外な野望に、松岡修造、思わず固まる 

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松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

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photograph byYuki Suenaga

posted2021/05/30 11:03

「夢はアストンマーチン」パラ馬術・高嶋活士が抱く意外な野望に、松岡修造、思わず固まる<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

馬に乗っていると、まったく障がいを感じさせない高嶋選手。参加クラスの競技レベルは五輪なみだという

高嶋:特にヨーロッパの国々は地続きですから、感染対策には敏感になりますよね。東京パラリンピックに向けてコロナもそうですけど、馬の感染症も収束を願うばかりです。

松岡さんが固まった!? 高嶋選手の意外な野心

松岡:いろいろなお話を伺ってきましたが、とにかく活士さんはご自身初のパラリンピック出場を目指して、頑張り過ぎないように頑張っているということがわかりました。そこからさらに未来に目を向けたとき、大きなくくりで何か夢をお持ちでしょうか?

高嶋:大きなくくりの夢……アストンマーティンに乗ることかな。

松岡:(一瞬、固まって)急にすごいですね。イギリスの高級車のことで間違いないですよね?

一同:(笑)

高嶋:そういう話じゃないのかな。でも僕、車が大好きなので。騎手を目指すときも、車を扱う機械系に進もうか、もう一つ大好きな動物関係の仕事を目指そうかと考えたくらいなんです。

松岡:今日は2時間以上、活士さんと一緒にいますが、一番話が乗ってますよね。勢いを感じる。

高嶋:馬も車も自分の足で走れない分、代わりに走ってくれてスピードを体感させてくれるじゃないですか。それに好きな車に乗りたいという野心みたいなものはモチベーションを上げるのに必要だとも思います。

松岡:なるほど。僕、ここまでの穏やかな活士さんのイメージが変わりましたよ。

高嶋:まぁ、こんな感じです(笑)。でも、やっぱり自分にとって一番大事なのは馬に乗ることで、それを一人でも多くの方が見て下さって、乗馬が日本に定着したらいいなという思いがあります。日本は欧米と違って、日常的に馬に乗れたり触れ合ったりできる場所がほとんどありませんからね。馬に乗ることは心身にとてもいいことですし、ぜひ皆さんにも興味を持っていただいて体感してもらいたいです。

(構成:高樹ミナ)

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高嶋活士(たかしま・かつじ)

1992年12月2日、千葉県生まれ。2011年にJRA騎手としてデビュー。13年2月、障害レース中に落馬事故で脳の3カ所から出血する大けがを負い、右半身に麻痺が残った。2年半に及ぶリハビリの末、15年に騎手免許を返上して引退。JRA通算244戦0勝(うち障害39戦)、最高は2着6回。現役引退直後から馬場馬術を開始し、17年に全日本パラ馬術大会で優勝。20年の全日本では個人、団体の2冠を達成。161センチ、58キロ。愛馬はケネディ・H号。

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