熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
給与未払いに人種差別…ロベカル、パウリーニョらブラジル人も東欧でモメていた 浅野拓磨の“泥仕合”に共通する教訓
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byGetty Images
posted2021/05/08 11:02
浅野拓磨の電撃退団で波紋が広がっているが、シャムスカ監督やパウリーニョの証言は興味深い
「味方のサポーターからもサルの鳴き真似を」
「チームメイトのブラジル人選手と一緒に町を歩いていたら、突っ張った感じの若者数人に取り囲まれた。言葉はわからなかったが、彼らの表情やら口ぶりで僕たちを罵倒しているのがわかった。
スタジアムでも、敵はもちろん味方のサポーターからもサルの鳴き真似をされ、コインを投げつけられた。
そんなひどい仕打ちはブラジルで一度も受けたことがなかったから、衝撃を受けた。夜、泣きながら母親に電話したのを覚えている」
「3週間、僕は家に引きこもった」
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パウリーニョは、プレーに関してはクラブ関係者から高い評価を得た。しかし、市民とサポーターからの冷酷な扱いに耐え切れず、翌年、ウッチというポーランド1部のクラブへ移籍した。
「ところが、ポーランドでも同じような人種差別を受けた。さらに、クラブの財政状況が悪化し、給料の遅配が続いた。満足に食事も取れなくなり、クラブとの契約を解除してブラジルへ逃げ戻った」
「リトアニアとポーランドでのつらい経験に打ちのめされ、3週間、僕は家に引きこもった。選手としての実績が全くなかった僕を欲しがるクラブなどなかった。もうフットボールは諦め、別の仕事を探そうと考えた。
でも、妻から『フットボールを取ったら、あなたに何が残るの? これまで、あなたを応援してくれたご両親にも申し訳ないと思わないの?』と諭され、伝手を頼ってサンパウロ州4部のアウダックスにもぐりこんだ」
2008年、アウダックスで活躍し、翌年、中堅クラブのブラガンチーノへ。そして、2010年に名門コリンチャンスへ移籍すると、たちまちレギュラー。2012年、クラブ南米王者、世界王者となり、その後、トッテナムと広州恒大(現広州FC)を経て2017年、バルセロナへ。ブラジル代表にも招集され、2014年と2018年のワールドカップに連続出場した(成績は4位とベスト8)。
フットボールの世界の最底辺から頂点へ――。若い頃の東欧での過酷な経験を辛うじて乗り越えたからこそ、その後の栄光があった。
浅野と同じパルチザンでつらい思いをした選手も
浅野と同じクラブに所属し、別の意味でつらい思いをした選手もいる。
ボランチのエヴェルトン・ルイス(現レアル・ソルト・レイク=MLS)である。