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J監督は“浪人期間”に何する? アトレティコ視察&娘と見た『約束のネバーランド』《J2山口・渡邉晋の場合》
text by
石倉利英Toshihide Ishikura
photograph byJ.LEAGUE
posted2021/03/09 11:01
今季からJ2レノファ山口の再建を託された渡邉晋監督。約1年間の“浪人”期間を経て、現場復帰となる
“無職”の時にやってきた新型コロナウイルス
だがその矢先に、新型コロナウイルスの影響でJリーグの公式戦が中止・延期に。その後は海外リーグの試合を、それまで以上に見るようにしたほか、著書の出版に向けた準備も始めたが、ほどなく海外リーグもJリーグと同じ状況になり、見るものがなくなった。4月には妻とともに仙台から東京へ引っ越し、都内の大学に進学していた娘と3人での生活を始めたものの、すぐに緊急事態宣言が発令され、外出すらままならなくなる。
「でも結果的に、僕にとって何よりの癒し、すごく大切な時間になりました」
娘も20歳を過ぎて、お酒が飲めるようになっていた。日本酒やワイン、おつまみを通販で購入し、夕方になると、いろいろな話をしながら家族3人で飲んだ。就職活動の開始が迫っている娘には希望の職種や将来像を聞き、契約が終わって無職となった自分の現状、プロの厳しさを伝えた。
日が暮れると、Amazonプライムビデオを視聴するのが恒例になった。監督としてピッチ上の全権を握ってきたが、自分の家だと同じようにはできない。
「僕にはチャンネルの権限が、ほとんどないんです(笑)。映画のほかに、アニメも見ましたよ。娘が勧めてきた『約束のネバーランド』は面白くて、早く続きが見たくなるくらい。でも『鬼滅の刃』や『進撃の巨人』はダメでしたね。途中で断念しました(笑)」
仙台時代は「思えば全く休んでいなかった」
仙台の監督時代、オフに家族でゆっくり過ごしたことは「正直、記憶にない」。シーズンが終わると海外視察に出向き、帰国すれば翌年への準備が始まって、「いま思えば全く休んでいなかった」という多忙な日々だった。
サッカーがない世界で、ゆっくり流れていく家族との時間。
「初めて、頭も体も休まっているという感覚になることができました。サッカーから離れて家族との時間を過ごして、全くの『無』になったんです」
だから、5月末に全国の緊急事態宣言が解除され、やがて世界のサッカーが動き始める頃には「僕のスポンジはカラッカラ。あとは、どんどん吸収するしかない状態でした」。いち早く再開したドイツ・ブンデスリーガでバイエルンの強さを自分なりに分析し、Jリーグの試合を見てノートに書き留める日々も再び始まった。