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柳沢敦はゲルト・ミュラーの「13」、黄金世代は出身校で決定? 鹿島・鈴木満FDが語る“伝統の背番号”秘話
text by
池田博一Hirokazu Ikeda
photograph byKASHIMA ANTLERS
posted2021/02/26 11:00
ゲルト・ミュラーのように“点取り屋”になって欲しいと願いを込められて「13番」を背負った柳沢敦。その活躍で鹿島にとって特別な番号となった
13チームから声がかかった柳沢敦
富山第一高校出身の柳沢敦は、Jリーグ13チームから声がかかった、将来を期待される大型新人だった。海外への移籍が増えて毎年選手の入れ替えが多くなった現在と違い、1つのポジションで1人が台頭すれば、10年は他から獲得せずともそのポジションは安泰と言われた時代だ。大切に育て、チームにタイトルをもたらし、日本を代表する選手へ。背負わせる番号にも思いがあった。
「柳沢を何番にしようかと考えたとき、すでにレギュラー番号が埋まっていました。そのなかで、世界のスーパースターであるゲルト・ミュラーという西ドイツの選手が、13番を背負い、1970年のワールドカップメキシコ大会で得点王になったことを思い出したんです。そのイメージが強くて、それにあやかってとにかく“点取り屋になってほしい”という思いで13番を与えました」
与えた思いに柳沢が応えることで、13番はアントラーズのなかで特別な番号になった。
「最初のきっかけはゲルト・ミュラーでしたが、やはりアントラーズの13番のイメージ、そして重みというものを柳沢が作ってくれたと思っています。今や13番はアントラーズでは特別な番号ですから」
今シーズンはその13を、2年目の荒木遼太郎が背負うことになった。
「荒木には13番を背負うということが、どういうことなのか、どれだけ期待をしているか。その思いを理解してほしい、という話をして託しました」
「西から順番につけていこう」
翌1998年。“ゴールデンエイジ”と呼ばれ、のちにアントラーズの常勝を築いた選手たちが加入してきた。
「あの世代は、6人の有望な選手が入ってきました。どう番号をつけようか。新人選手に対して大きい番号をあてがうのも、このときが初めてでした」
初めはなんとなく、これが正直なところだ。それでも歴史を積み重ね、各番号に重みが生まれていく。
「出身校が西から順番につけていこうとなったんです。23を熊本県の山口武士、24を福岡県の本山雅志、25を奈良県の中村祥朗、26を東京都の中田浩二、27を岩手県の小笠原満男、最後にユース出身のゴールキーパーの曽ケ端準が28。そんなつけ方をしました」