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【引退】佐藤寿人「よく1億数千万も払ったなと」広島移籍決断、最高の仲間とのゴール、青山敏弘と流した涙
posted2021/02/11 17:02
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph by
Kiichi Matsumoto
「1月は少し休もうかなと思っていたんですけど、なかなかスイッチがオフになるところがなくて。子どもたちも学校がありますし、選手時代と変わらない1月を過ごしていましたよ」
日本屈指のストライカー佐藤寿人が、昨季限りで21年間におよんだプロ生活に終止符を打った。
オンラインでの会見から約1カ月。例年であればシーズン開幕に向け、すでに身体を作っている時期だが、そのルーティンもなくなった。その習慣が体に染みついているからこそ、少し物足りなさも感じている。
「もうボールを蹴る場所がないというのは初めての経験なのでちょっと寂しいなって。“選手”ではなく“さん”と呼ばれるのもまだ慣れません(笑)」
ピッチ外での行動もさほど変わらないようだ。朝6時半の起床が7時になったくらい。現役時代は極力控えていたお酒もいまだノンアルコールビールを好んで飲み、トレーニングも継続していると笑う。
「リミッターを外してしまったらすぐに体型が変わってしまいますから。まだ選手のフォルムを維持したいので(笑)」
J1&J2で得点王、12年連続2桁ゴール
170cmと小柄ながらも、優れた得点感覚で、21年間の現役生活で数々のJリーグ記録を樹立してきた。
Jリーグ歴代最多の220得点はもちろん、J1でも通算2位の161得点を記録。ルヴァン杯(旧ナビスコ杯)は通算1位の29得点を挙げ、12シーズン所属したサンフレッチェ広島では2008年にJ2で28得点、12年にJ1で22得点を挙げ、得点王に輝いた。ちなみに、日本人でJ1・J2の両カテゴリーの得点王を獲得しているのは佐藤だけだ。さらに04年~15年までは12年連続で2桁得点を達成している。
しかしすべてが順風満帆なサッカー人生だったというわけではない。プロかけ出しの頃はもがき苦しんだ。2000年にジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)のアカデミーからトップチームに昇格したが、最初の3年間のリーグ戦で奪ったゴール数はわずか「4」。世代別代表では結果を残しながらも、所属チームではなかなか思い通りにプレーできなかった。
その後、セレッソ大阪を経て、03年からプレーしたベガルタ仙台で持ち味を生かしながら少しずつチャンスをつかんだ佐藤は、自身4クラブ目となるサンフレッチェ広島でその才能を大きく開花させることになる。