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【引退】佐藤寿人「よく1億数千万も払ったなと」広島移籍決断、最高の仲間とのゴール、青山敏弘と流した涙
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph byKiichi Matsumoto
posted2021/02/11 17:02
ワンタッチゴーラーの異名で多くの勝利に貢献してきた佐藤寿人。仲間やサポーターからの信頼が厚いプレーヤーだった
いかに味方とイメージを共有し、ゴールを奪うか。それが自分の武器であり、生命線の1つだと考えていたからこそ、パスを供給し続けてくれた仲間への感謝は惜しまない。
「広島に入ったときは、当時の日本トップレベルの両サイド、(服部)公太さんやコマ(駒野友一)がいて、面白いように両サイドからボールが上がってきました。その後も(リ・)ハンジェやミカ(ミキッチ)、近年だと(清水)航平やカシ(柏好文)もいて。入ったばかりの頃はまだトシ(青山敏弘)からの1本のパスでゴールという形は完成していなかったですけど、その後、トシとも(ラインを)成熟させることができました。
さらに(高萩)洋次郎や(柏木)陽介など自分の思いを受け止め、それを形に変えてくれる選手がいた。そして、その根底には同学年のカズ(森崎和幸)やコウジ(森崎浩司)がいて。僕の場合は、そういった仲間たちに恵まれていたし、共に作り上げていったという感覚なんです」
昨年末、引退を決断したときには、ホットラインを形成し、佐藤からキャプテンを引き継いだ青山に真っ先に報告した。車のなかで1時間もの間、目が真っ赤になるまでお互いに泣きながら語りあったという。引退会見でも青山や広島への思いを口にすると、自然と涙がこぼれ、そして言葉に詰まる場面があった。
ジェフをJ1に昇格させられなかった
21年間のプロ生活での心残りは、キャリアをスタートさせ、そして現役最後に所属した千葉を「(J1に)昇格させられなかったこと」。それでも「濃い21年を過ごすことができた。本当に幸せな選手だった」と胸を張る。
ファン、サポーターにもピッチ内外で見せ続けてきた彼の姿は伝わっているはずだ。市原、C大阪、仙台、広島、名古屋、そして千葉。ともに喜び、悲しみ、ときには互いに本音でぶつかり、真摯に向き合ってきた。だからこそ、愛され、尊敬されていた。
「どのクラブに行っても、まずは応援してくれるファンやサポーターの人たちのことを好きになりたいと思っていました。彼らは好きになった分だけ愛情で応えてくれる。常に対等でありたかったし、信頼関係を作りたかった」
サッカー選手としてスタジアムで声援を受けながら、プレーできる喜びやゴールを奪い、試合に勝利し、優勝する喜びを味わってきた。そこには多くの支えがあったことも知っている。だからこそ、次は自分が別の立場でサッカー界に貢献を――。
「サッカーが与えてくれたものはとても大きい。だからこそ今度は自分が還元していきたい。第2のキャリアをしっかりと歩んでいきたいと思います」
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