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【引退】佐藤寿人「よく1億数千万も払ったなと」広島移籍決断、最高の仲間とのゴール、青山敏弘と流した涙
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph byKiichi Matsumoto
posted2021/02/11 17:02
ワンタッチゴーラーの異名で多くの勝利に貢献してきた佐藤寿人。仲間やサポーターからの信頼が厚いプレーヤーだった
誰しも人生の岐路が存在し、その時々で意思決定をしながら前へ進んでいく。生きていくということは決断の連続だ。
人生を左右する場面に立たされたときは、どちらの道へ進むべきか複数の選択肢の間で悩む。2005年の広島への移籍は、21年間のサッカー人生の中で、佐藤が「最も考え抜いた決断だった」という大きなターニングポイントになった。
仙台をJ1に戻す――。
そう公言してきた自分が広島へ移籍することは“裏切り”になるのではないかと思い悩んだ。名実ともにベガルタの象徴としてサポーターからも愛されていたからこそ、簡単には決断できなかった。
「考えて考えても答えがでませんでしたね。“(仙台に)残留しようかな”と思った次の日には“やっぱり(広島に)移籍しよう”という気持ちになり、またその数時間後には“やっぱり残留しよう”と気持ちが変わるんです。その繰り返しだった。本当に結論が出なかったので、クラブには何も知らないと判断ができないから、オファーしてくれた広島を見に行きたいと直訴したんです」
仙台からおよそ1200km。広島県安芸高田市にあるサンフレッチェ広島の練習場、吉田サッカー公園を訪れると、その眼前に広がる光景に一瞬にして心奪われた。その記憶は今でも鮮明に残っている。
「“あっ、ここで自分が大好きなサッカーの練習をしたらうまくなれるな”って。もし、あの年の吉田のグラウンドの芝生がボコボコしていたら、移籍していなかったかもしれません。それほど、青々としていた芝生が衝撃的だったんです」
「サッカーに集中できる環境だった」
ただ、この移籍では経験したことがないほどの大きな重圧ものしかかった。
「広島に行く前まではJ1で11点しか取っていない選手でしたからね。自分で言うのもなんですけど、クラブもよくそんな選手に1億数千万も払ったなと。広島がそれほどの移籍金をかけて日本人選手を獲った前例がなかったので、相当なプレッシャーにはなりました。それに見合う活躍が期待され、結果を求められているんだなって思うと」
在籍した12年間に広島で決めた得点は178。3度のリーグ優勝、そして、12年にはJリーグMVPと得点王に輝いた。
それはひとえに彼自身の努力の賜物に過ぎないのだが、当の本人は「自分がどうこうということじゃないし、何か特別なことをしたわけじゃない」と強調する。
「市原からC大阪、仙台と移籍して、いろいろな選手とチームを作る、その中の一員になるという経験ができたことが生きたと思います。広島に移籍加入したときには、まず周りの選手の特徴を理解し、自分の特徴を知ってもらうということを徹底して行えたことが良かったのかなと思います。それにあの青々とした芝生の上でたくさん練習できたこと、広島という街、クラブも含めて、サッカーに集中できる環境だったことも大きかったですね」