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「監督に休めと言われたけど拒否したよ(笑)」カフーが18年間の現役生活で891試合に出場できた秘訣とは
text by
エリック・フロジオEric Frosio
photograph byREUTERS/AFLO
posted2021/02/07 17:02
2002年W杯日韓大会で主将として優勝に貢献。W杯は通算4大会に出場した
――フィジカルと持久力の強さに加え、あなたにはスピードもありました。イタリアでは《ペンドリーノ(イタリアの新幹線)》のニックネームがつけられました。
カフー スピードは、たしかにトレーニングもしたけど、子供のころから僕は速かった。兄弟たちも同じで、足の速い家族として有名だった。街で僕より速い子供はほとんどいなかった。サッカーと凧揚げでそれはとても役に立った(笑)。凧糸が切れたら急いで走ってつかまえないと、誰かにとられてしまうからね(笑)。
――18年間の現役生活で891試合に出場。シーズン平均ほぼ50試合です。これだけの試合でプレーができたのは、ほとんど怪我をしなかったからでしょうか?
カフー 深刻な怪我は一度もなかった。どれほどひどくとも、2カ月以上欠場することはなかったからね。どんな試合であろうと――親善試合や練習試合であっても、僕は出場を断らなかった。常にピッチに立っていたかったからで、それだけサッカーが好きだった。あるとき監督に休めと言われたけど拒否したよ(笑)。今の選手たちは年に50試合もプレーしなければいけないと嘆いているけど、僕は高いレベルで毎年50試合をこなしてきた。それも無視して欲しくない。
「試合の前々日から絶対に外出しなかった」
――それだけ長くやれた秘訣は何ですか。羽目を外すことは一度としてなかったのでしょうか。ロナウジーニョたちの誘惑に耐えられたのですか?
カフー しっかり睡眠をとって食事にも気を遣った。でも、友人たちとビールを飲むこともあったし、ときに外出して羽目を外したりもした。ただ、注意は払っていた。試合の前日や前々日には絶対に外出しなかった。気晴らしに外に出るにしても時と場合を十分に考慮する。秘訣といえばそれだけだ。
――自分が最高だといつごろから意識しましたか?
カフー 難しい質問だなあ……。僕は高いレベルのパフォーマンスをずっと維持できたと思っている。それが難しいとはじめて感じたのは、2008年に38歳になったときだった。だから引退を決意した。
――当時、サントスとは契約寸前までいきましたが……。