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「監督に休めと言われたけど拒否したよ(笑)」カフーが18年間の現役生活で891試合に出場できた秘訣とは
posted2021/02/07 17:02
text by
エリック・フロジオEric Frosio
photograph by
REUTERS/AFLO
エリック・フロジオ記者によるカフーインタビューの続きである。史上最高のサイドバックに選出されたカフーが、強靭なメンタリティの起源と長年トップレベルでプレーを続けられた理由、そして才能がなかなか現れない母国ブラジルのサイドバックへの思いを語る。(全2回の2回目/#1から続く・肩書などは掲載当時のままです)
(田村修一)
強固なメンタルが育くまれた背景
――あなたの原動力はどこから来ているのでしょうか。裕福ではない階層の出だからでしょうか?
カフー それは間違いない。両親は勤勉で本当によく働いた。他には選択肢がなかったからだ。僕らはサンパウロ郊外のバラックに8人で住んでいた。だから誰もが働かねばならなかった。ただ、僕にとってサッカーは仕事ではなかった。プロになりたいと思い、喜んでサッカーに励んでいた。完璧になることだけを目標に研鑽を続け、他の選手たちよりも抜きんでてチームのタイトル獲得に貢献する。そうして僕は乗り切った。
フィジカルが強かったのも幸いした。フィジカルコーチにピッチ10周走を課されたときも、僕は12~15周走ることができた。それが僕の力であることもわかっていた。
――テレ・サンターナは厳格であることで知られていますが、強固なメンタリティを築くうえで彼の影響も大きかったのではないですか?
カフー 彼と一緒にやるにはディシプリンが求められる。見放されなければ、それだけでいい兆候だ。好かれて信頼を得ている証だから。いろいろ言われてウンザリもしたけど、彼が僕のために言っているのはわかっていた。ポテンシャルを認めてくれたからこそのアドバイスだった。
――サンパウロFCでは、あなたはライーに向けてしばしばクロスを上げました。あなたからの贈り物に彼は感謝していますか?
カフー 冗談でライーにはよくこう言った。「君が成し遂げたことの10%は僕の力だ」と(笑)。彼はヘディングが強かったから、僕も意図的に彼にめがけてボールを送った。後方から走り込んで、彼はボールの軌道にうまく入り込んだ。ときに胸でコントロールすることもあった。
ミューレルに対しては、ライーとは異なる質のクロスを送った。(ガブリエル・)バティストゥータはまた違うし、(アンドリュー・)シェフチェンコも(フィリッポ・)インザーギも違った。それぞれのクオリティの違いと好みのボールをしっかりと理解して、どんなクロスを上げればいいかを考えた。そのためのトレーニングにもエネルギーを注いだ。