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難度の高い手術とリハビリを乗り越えて…日本ハム野村佑希20歳、ベテランも「ヤバイわ」と驚く才能 

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高山通史

高山通史Michifumi Takayama

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photograph bySankei Shimbun

posted2021/01/29 17:00

難度の高い手術とリハビリを乗り越えて…日本ハム野村佑希20歳、ベテランも「ヤバイわ」と驚く才能<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

昨季は開幕スタメンでプロ初出場を果たした野村。21試合に出場し、打率.257、3本塁打をマークした

清宮が「すごい」と絶賛

 本物は、本物を知るのだろう。

 野村選手の名前が、強く胸に刻まれたのは何気ない雑談でのことだった。

 18年、当時ルーキーだった清宮選手と高校野球の話題になった。1学年下の世代のドラフトの注目選手を挙げていく中で「花咲の野村は、すごいです」と魅力を語り出したのである。

 清宮選手は早稲田実業高校3年時に春の関東大会で野村選手と対戦していた。乱打戦でともに本塁打を放ち、アーチストとして競演。拳を交えて実感した素質の高さを論評してくれたのである。その時に、野村選手の名前が強くインプットされ、その夏の甲子園に出場した際に注視していた。野村選手は2年生4番として全国制覇。清宮選手の絶賛と、答え合わせができたのである。

開幕戦に抜擢された矢先の骨折

 昨シーズンまでの2年間、波乱万丈だった。

 1年目の夏場には、全治約5カ月と診断された「左股関節後方亜脱臼」に見舞われた。イースタン・リーグの試合前のシートノックで、フライを追っていた際の不慮のアクシデントだった。打撃成績の進境も著しく、頭角を現し始めたころだった。体重による荷重を避けるために一時は歩行を制限されて寝たきりでの入院、段階を踏んで松葉杖での日常生活も不自由なリハビリを経て、ようやく野球ができるまでに回復したのである。

「2年前のケガはシーズンの後半だったので、そこまでショックはなかったですけれど、去年はちょっと精神的にきました」

 プロ2年目の昨年は、さらなる試練に直面したのである。

 開幕戦で抜てきされ、1カ月も経たない7月の試合だった。ゴロを処理する際に、右手小指に打球が直撃。「右手第5指基節骨」の骨折だった。複雑に折れており、難度の高い手術、リハビリを強いられることになった。

鎌ヶ谷に戻っても、ほぼ引きこもり状態

 骨が正しく接合するように負傷部内にワイヤーを通して固定。さらに負傷部の動きを制限、安定させる術として小指の外からもワイヤーで「創外固定」という処置が取られた。このケースは化膿する恐れがあり、雑菌等の流入を防ぐために発汗する行為は一切禁じられた。1週間程度入院した後、ファーム施設の千葉・鎌ケ谷市の合宿所へ戻ってからも、ほぼ引きこもりの生活を過ごすことになったのである。

「創外固定」をされている期間はチームメートと交わることがない別メニューで調整。夏場でもあり、発汗に細心の注意を払うため、極度の行動制限も課せられた。合宿所からの外出は、隣接する球場の食堂で昼食を摂る程度だった。

「人間って、日の光を浴びないとおかしくなるんだなと思いました」

 約100mの距離の往復が屋外で心身を“光合成”する、つかの間の憩いの時間になった。

【次ページ】 キンキンの部屋で体幹トレ

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