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田中将大「比べられても仕方ない。宿命だと」 プロ初の斎藤佑樹戦で完投勝利も…9回2死、自分に怒ったワケ
posted2021/01/29 17:02
text by
間淳Jun Aida
photograph by
JIJI PRESS
フルカウントからのスプリットが低めに外れると、田中将大はマウンドにしゃがみこんだ。
9回2アウト満塁。日本ハムの代打・二岡智宏に押し出しを許して1点を失った。その姿だけを見れば、サヨナラ負けを喫した敗戦投手と勘違いしてしまうだろう。しかし、この時点で4-1と楽天の3点リード。田中は、苦笑いさえ浮かべず、自分への怒りを押し殺していた。
それほど、この試合は完封に強くこだわっていた。
決勝再試合から1846日、田中のプライド
2011年9月10日。楽天の本拠地・Kスタ宮城は満員だった。ファンが待ち望んでいた一戦が、ようやく実現した。
マー君vsハンカチ王子。
甲子園の歴史に残る決勝再試合から1846日。宿命のライバルが、プロで初めて対決する。
駒大苫小牧卒業後に楽天に入団した田中はプロ5年目。早稲田実業から早稲田大学に進学して日本ハムに入った斎藤佑樹はプロ1年目。田中は、斎藤が大学にいた4年間、プロで46勝を積み重ねていた。
チームでは岩隈久志と並ぶ絶対的エースで、すでに球界を代表する投手にまで登りつめていた。新人に負けることは田中のプライドが許さない。そして、斎藤相手には負けたくない理由もあった。
2006年の夏は辛い思い出しかない
再試合で優勝を逃した2006年の夏。田中には、辛い思い出しかない。
駒大苫小牧のエースとして夏の甲子園3連覇を目指していたが、「ハンカチ王子」率いる早実に敗れてメディアの主役が代わった。新聞や雑誌に掲載される自分の写真は、斎藤の後ろに小さく写るものばかり。まだ17歳だった田中は「手のひらを返したように変わってしまった」と心を痛めた。プロで結果を残しても、あの夏のことを繰り返し聞かれた。斎藤と比較されることを嫌って、甲子園に関する取材を断った時期もあったという。
しかし、田中は斎藤とのプロ初対決を前に当時を冷静に振り返っていた。