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ベンゲル「名古屋で過ごした自分がいたからこそ、アーセナルでの私が存在した」 【独占インタビュー】
text by
フィリップ・オクレールPhilippe Auclair
photograph byTakao Yamada
posted2021/01/05 11:00
グランパスで指揮を執っていた頃のベンゲル。ストイコビッチらを活用し、Jリーグに旋風を巻き起こした
――プライベートでも、日本独特の文化に触れて堪能できた?
W 相撲を観るのが大好きになったね。勝者が敗者の前で、敢えて喜ばない勝負の世界が衝撃的でね。食文化は、心ゆくままで楽しませてもらったよ。他の分野は、例えば日本の芝居を鑑賞したいとは思っても、やはり言葉の限界があった。クラブという仕事場を含め、ある程度は日常生活で使える日本語のボキャブラリーを身につけてはいたが、芝居を理解するレベルには及ばなかった。
アーセナルですぐ味わった“現実”
――精神面で学ぶことも多かった日本での経験があったおかげで、アーセナルで再び身を置くことになったヨーロッパの監督界でも、桁違いのプレッシャーと背中合わせの日常に流されることはなかった?
W:初めのうちはそうだったが、すぐに現実が襲いかかってきた。平静な心持ちで仕事を始めることはできていた。自分が生まれ育ったヨーロッパの文化の中に戻ったのだから、居心地が悪いはずもない。だが、そのヨーロッパのトップリーグで仕事をすることに伴う巨大なプレッシャーが、ほどなくして戻ってきた。
――それでも、落ち着き払っている見た目の印象とは裏腹に、内面の激しい感情をコントロールする上で日本での経験が役に立っていると以前にも言っていたけど?
W:その通りだよ。モナコ時代は、よく選手たちを怒鳴りつけていたから、さぞかし嫌な監督だったことだろう(笑)。そんな自分も日本で生活したことで、少しずつ自分の感情をコントロールできるようになっていった。最終的には、冷め過ぎているのではないかと感じられることがあるほどのレベルにまでね。あるいは、選手たちの心理状態に気を配り過ぎて、自分自身の感情を失ってしまったかのように。そこはチームを優先するあまり、自分らしいプレーが影を潜めてしまうこともある日本人に似ているかもしれない。
だが、そんな日本の環境で仕事をしたからこそ、私は変わることができた。極力、良い方向にね。間違いなくそう信じている。監督としても人としても、名古屋で過ごした自分がいたからこそ、アーセナルでの私が存在したと言えるよ。
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