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ベンゲル「名古屋で過ごした自分がいたからこそ、アーセナルでの私が存在した」 【独占インタビュー】

posted2021/01/05 11:00

 
ベンゲル「名古屋で過ごした自分がいたからこそ、アーセナルでの私が存在した」 【独占インタビュー】<Number Web> photograph by Takao Yamada

グランパスで指揮を執っていた頃のベンゲル。ストイコビッチらを活用し、Jリーグに旋風を巻き起こした

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フィリップ・オクレール

フィリップ・オクレールPhilippe Auclair

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photograph by

Takao Yamada

 前編でJリーグでの監督生活に挑むきっかけを語ってくれたベンゲル。名古屋グランパス(当時グランパスエイト)というクラブでの日々は、彼のパーソナリティーにどのような変化を及ぼしたのか。それについても熱く語ってくれた。<翻訳:山中忍>

“国境”にとらわれることのないように

――監督という仕事には確かなアイデンティティが求められる。そのアイデンティティの一部として、多文化的な側面を取り込むことはできると思う?

ベンゲル(以下W):複数の文化を吸収することは可能だと思うが、絶対的な条件が1つある。自ら進んで理解し合う心構えが必要だ。私の場合、人となりの根幹はアルザス(フランス北東部)での幼少期に形成されたもので、子供の頃に植え込まれた価値観は今でも自分の中にある。

 とはいえ、違う文化に触れて、それを理解したいという気持ちも少年時代から強かった。おそらく2つの文化が併存する環境で育ったからだろう(注:アルザス地方はドイツ系の住民が多く、ベンゲル自身も、フランス語ではなく、ドイツ語に近いアルザス語が母語)。言ってみれば、幼い頃からずっと異国で暮らしてきたようなものだから(笑)。

 指導者になってからも、意識して“国境”にとらわれることのないように努力していたつもりだ。異国でフランス人同士が出会えば、ついつい一緒に行動しても不思議ではない。慣れ親しんだ環境にいる気分になれるからね。だが、フランス人同士という理由を除けば、そのフランス人は本来自分が一緒にいるべきタイプの人間ではない可能性もある。

 人間的には、言葉や文化の違いを理由に自分が敬遠してしまっている日本人こそ、一緒に時間を過ごすべき相手なのかもしれない。私の頭の中には、いつもそんな考えがあった。居心地の良い環境に浸ったままでは何も始まらない。その環境から敢えて抜け出そうとしてこそ、国境を越えて互いにわかり合えるというものだ。

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