“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
大津→福岡大のサッカーエリートが陸上へ異例の競技転向「違う道もあるんだぞ」胸に響いた名将の言葉
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byKrosakiharima Athletics Club
posted2020/12/03 17:02
11月の九州実業団毎日駅伝で6区を走った黒崎播磨・河田健太郎。大学までサッカーを続けた選手の陸上転向は異例なケースだろう
サッカーは味方がカバーしてくれるけど
今季、黒崎播磨陸上部に入部した河田は本格的な指導を受けながら「走るノウハウ」を学んでいる。吸収が早いのか、自身が定めた目標通り、1年目から九州実業団毎日駅伝のメンバーに選出された。
「僕の名前が呼ばれた瞬間は『よし!』と思った一方で、責任も重くのしかかりました。呼ばれなかった選手のほとんどが僕よりも数倍、いや十倍も競技人生が長くて、駅伝に人生を捧げて必死にやってきた人たちばかり。その人たちに対する責任もある。それにサッカーはミスをしても、味方がカバーをしてくれます。怪我をしても、調子が悪くても最悪、交代があるじゃないですか。でも駅伝は一度走ってしまったらもう代わりがいないんです。走り切らないとタスキを途切らせてしまう。会社の看板も背負っていますし、そのプレッシャーは今まで経験したことはないですね」
緊張する河田に澁谷明憲監督を始めとするスタッフや先輩、後輩たちは親身になってアドバイスを送ってくれたという。この気持ちに応えたいという思いが強くなっていった。
そして、筆者がテレビで見た九州実業団毎日駅伝につながる。当日、4位につけていた黒崎播磨は3位の九電工の背中を捕らえていた。澁谷監督は6区を走る河田に「最初から九電工について行って、そこからは我慢比べだぞ」と指示を出した。
タスキを受け取った河田はハイペースで走り出した九電工の選手に引き離されまいと食らいついた。3km過ぎで追いつくと、指示通り我慢比べに挑んだ。残り3km過ぎでスパートをかけ、ついに九電工を追い抜いた。
しかし、今度は別の選手の足音が背後から聞こえてきた。振り返ると河田の後ろを走っていた旭化成Bの選手が迫っていた。必死でペースを上げたが、序盤のハイペースが影響したのか「身体が思うように動かなくなった」と残り1km過ぎで抜かれてしまう。最後はなんとか4位をキープしたまま、最終7区の選手にタスキを手渡した。
目標はニューイヤー駅伝、将来はマラソンにも
島原駅伝の悪夢を振り払い、最低限のタスクを果たしてタスキをつないだことで、ニューイヤー駅伝の出場権は手にすることができた。1年目から上々の成績かと思われるが、河田はこの現状にまったく満足していなかった。
「貢献したとは言えない状態だからこそ、ニューイヤー(駅伝)には出たい。そのためにはこれまでと同じように明確な目標を持って、1日1日自分のできることに継続して取り組んでいく。それが一番の近道だと思っています」
九州実業団毎日駅伝が終わると、多くの友人や知人から連絡をもらい、反響の大きさに驚いた。一美からも「見たよ。俺も頑張るさ」とLINEをもらい、平岡総監督や以前から自分の陸上の才能を見抜いてくれた米田監督などからも祝福を受けた。
「僕は本当に周りに恵まれています。サッカーで挫折をしたけど、その分、大切なものをたくさん教えてもらった。今はファンとしてサッカーが大好きですし、同級生の活躍に刺激をもらっている。陸上は僕に新たな道を拓いてくれましたし、黒崎播磨はタイム的には大したことのない僕に期待して獲得してくれて、より高い目標を与えてくれた。全ての人に結果で恩返しをしたいし、古沼先生にも活躍している姿を見せたいんです」
高校時代はあれほど嫌だった駅伝が、いつしか自分にとって必要不可欠な存在となり、自分を表現するツールになっていった。屈託のない笑顔と優しい口調で語る河田を見ると、多くの指導者たちが惹きつけられた魅力がわかった気がした。
「黒崎播磨は駅伝だけでなく、マラソンにも力を入れています。42.195kmは高校時代に走っただけなので、必ず挑戦したいです。陸上で活躍して、また取材してもらえるように頑張ります!」
サッカーの夢は叶わなかった。でも、「違う道があるぞ」という言葉をつっぱねずに頭の片隅に残し、自分の心を信じたからこそ、河田健太郎の夢はまた大きく広がった。
テレビで見た駅伝で走る姿は、すっかり陸上選手だった。ただサッカーも陸上も、そして人生も一歩ずつ踏み締めていくのは同じ。可能性に向かって走る青年の第二の人生に期待したい。