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大津→福岡大のサッカーエリートが陸上へ異例の競技転向「違う道もあるんだぞ」胸に響いた名将の言葉
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byKrosakiharima Athletics Club
posted2020/12/03 17:02
11月の九州実業団毎日駅伝で6区を走った黒崎播磨・河田健太郎。大学までサッカーを続けた選手の陸上転向は異例なケースだろう
福岡大学に進学、A2チームの主将に任命
一美と野田がJリーグに進む中、河田は福岡大学に進学した。九州大学リーグ優勝18回、総理大臣杯優勝1回・準優勝2回、インカレ準優勝3回を誇る名門である。そう簡単に出番を得ることはできない。
大学1年目は4つあるカテゴリーの下から2番目のB1。努力を重ねて2年目にA2に上がるも、3年になると人間性を買われてA2の主将に任命。A1に上がってもレギュラーメンバーの試合相手という枠から抜け出せない毎日が続いた。
「トップチームでリーグ戦やカップ戦に出たいけど、その壁を超えられない。その一方でキャプテンとして1、2年生が多いA2をまとめないといけない立場にもなった。A2の目標はIリーグ(全国9地域の各大学セカンドチームで行うリーグ戦)を制して全国大会に出ること(九州の出場枠は1)。選手として何が何でもトップに這い上がろうとするべきか、キャプテンとしての責務を全うするか。この葛藤に苦しみました」
衝撃を受けた鈴木武蔵のスピード
モヤモヤした思いが日に日に大きくなる中、衝撃を受ける試合があった。A2チームがV・ファーレン長崎の控え組との練習試合をした時のこと。ボランチとしてスタメン出場した河田はフリーの状態で横パスを受けるが、トラップミスをした。一瞬のことだったが、たまたまこの試合に出場していた鈴木武蔵(ベールスホット)にかっさらわれ、そのままスピードで引き離されて失点を喫した。
「鈴木選手の後ろ姿にもう何もすることができない自分がいた。この瞬間に『あ、俺がプロになるのは厳しいな』と。この1年、A2のキャプテンをやり切ったら、サッカーを辞めようと思うようになりました」
立ち位置に悩む日々が続いたが、これでサッカーに対しての踏ん切りはついた。自分に残された仕事はA2を全力で牽引してIリーグ全国大会に出ること。ずっと続けてきたサッカーを中途半端で終わらせないように、最後の1年をやり切ろうと決意したのだった。そして河田は言葉通り、全国大会に出場。しかしグループリーグで敗退が決まり、河田のサッカー人生は大学3年で幕を閉じた。