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2度目の戦力外通告「辞めないで!」泣いた息子 引退か現役か…プロ野球選手が決断するとき【山崎武司の場合】
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2020/11/28 17:03
2011年に楽天から戦力外通告を受けた山﨑武司
「俺だってね、実績に胡坐をかいていたわけじゃなかったんだよ。3年契約の最初の年だったし、春先から結果を出せず申し訳ないと思っていたし、二軍へ行くことにも抵抗はなかった。けど、本当に扱いがひどかったから。だから、そこからはもう『いったろかい!』って感情だったね」
山崎はなんとか理性を保った。そして、シーズンが終わると真っ先に球団に直訴した。
「このまま中日にいたら、いずれ迷惑をかけてしまうのでトレードに出してください」
「あの人は野球になると独裁的になる」
歯車が、狂い始めた。
オリックス2年目の04年。自分でも呆れるくらいの不遇にぼやくしかなかった。
「ほんと、ついてねぇな。これが晩年ってやつなのかね」
この年も、引き金は新監督との確執だった。
指揮官の伊原春樹は、山崎いわく「プライベートでは思いやりのある人だけど、野球になると独裁的になる」人間性だったという。
両者の関係断絶の発端となったのは、試合での起用法だった。山崎の地元・名古屋で開催される試合でのこと。半レギュラーだったとはいえ、この日は多くの関係者を招待していたこともあり、監督に「頑張りますんで、スタメンで使ってください」と直談判し、了承を得ていた。
ところが当日、スターティングラインナップに山崎の名前はなかった。主力選手が怪我によりDHに回ったことが理由と言われてはいた。苛立ちを抑えよう――心のなかで格闘しているさなか監督が放った言葉に、山崎はキレた。
「そんな状態で試合に入れないだろう」
「あぁ! 無理ですねぇ!!」
試合をボイコットした山崎は、間もなくして二軍に落とされた。そこでも邪険に扱われ、またキレる。負の連鎖を断ち切れぬままシーズンが終了し、戦力外となった。